『飲み・食い・書く』書評

獅子文六
(1961年11月15日刊行、角川書店、東京, 1 plate + 278 pp. → 目次

【書評】※Copyright 2024 by MINAKA Nobuhiro. All rights reserved

飲み食いは人生そのもの

どこかで見たような書名ではあるが(笑)、ワタクシがこっそりパクったわけではない。60年も前にこのような本が出されていたことをつい最近になって初めて知ったわけで、それゆえ『読む・打つ・書く』との書名の類似は、罪深い “相同” ではなく、清廉潔白な “非相同” でございます。ワタクシは無実だー。

 

実を言えば、獅子文六という作家の本を手にしたことはワタクシはかつて一度もなかった。本書『飲み・食い・書く』は徹底的に食と酒の自分史本で、幼い頃から晩年に至るまで、何を食ってきたか、何を呑んできたかが連作エッセイから見えてくる。歳をとるとともに著者の食と酒の嗜好が変わってくることも正直に書かれている。飲み食いは人生そのもの。横浜で生まれ育ち、のちにフランス留学を経験した著者は、日本料理・欧風料理(フランス・ドイツ)・中華料理(今の横浜中華街)の食文化のちがいとその歴史的背景に関心を向ける。それにしてもこのお酒の呑み方(量)はアカンやろ。胃潰瘍になるのもむべなるかな。

 

太平洋戦争後、愛媛の宇和島疎開していた著者は伊予料理に接する機会が増える。「要するに、その土地で食うものを食え」(p. 88)という教訓は、風土ごとに異なる食文化と食生活を楽しむ著者の姿勢を物語る。

 

本書「あとがき」の〆のくだりは、食と酒に対する著者の向き合い方を読者に示している:

「しかし、いい年をして、飲み食いの本を出すなんて、多少、気がヒケないでもない。もう、いくらも飲めないし、いくらも食えないのである。もっとも年をとったおかげで、わかる味というものもあるが、ほんとは、黙って飲み、黙って食うのが、一番なのである」(p. 278)

著者が本書を出したのは68歳のときだから、来春ワタクシが “飲み食いの本” を出す頃には歳の差はほぼなくなる。そういう本を出すことについて、まったく “気がヒケ” ることのないワタクシはまだ修行が足りないのかもしれない。

 

最後に、『飲み・食い・書く』の造本について —— ワタクシが手にした初版は函入りの堅牢なハードカバー本で、ほぼ正方形の変型判だ。函と表紙の挿絵もいい感じだが、見出しに使われている活字の字体がとても変わっていて、ほかでは見たことがない。本書は後に角川文庫のラインナップに入り、『獅子文六全集(全16巻)』にも所収されているという。しかし、たとえ本文のテクストが別の本に移せても、この造本と活字書体までは移せないだろう。原書を撫で回すひそかなシアワセをワタクシは黙って味わっている。

 

三中信宏(2024年11月8日公開|2024年11月11日加筆|2024年11月14日修正)