阪上孝(編)
(2003年11月1日刊行,京都大学学術出版会,ISBN:4876986215)
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【書評】※Copyright 2003 by MINAKA Nobuhiro. All rights reserved
〈黒船〉がやってきた! 覗き穴から見たダーウィニズムの上陸
チャールズ・ダーウィンの没後100年に当たる1982年前後に,日本では「ダーウィニズムとはなんだったのか」を問う著作や論文集が集中的に出版された(もちろん世界的にも同様だったが).新興の社会生物学が人間の社会や文化のあり方に対して積極的に関わろうとしていたことも,これまで進化学に対して相対的に無関心だった読者層を掘り起こした一因だったのだろう.
進化学が人文科学・社会科学に対してどのような影響を及ぼしてきたのかというテーマは,今後の両者のあり方への示唆を得る上で興味深い.本論文集は京都大学人文科学研究所における共同研究を踏まえて出版された報告書で,650ページを越える大部の本だが破格的に安い.ダーウィン生誕200年(2009年)を前にした現在,久しぶりに進化学と人文系諸学問との関係について考察できる場を与えてくれるものと期待された.
第I部「概念と論争」では,ダーウィニズムの伝播の過程で生じた科学史的エピソードが取り上げられる.〈ダーウィンを消した女〉は,ある科学理論が受容される際の社会的・文化的基質について,『種の起源』仏訳版をめぐる翻訳史を手がかりに解明しようとする.続く,〈カプセルの中の科学〉では,ハーバート・スペンサーとアウグスト・ヴァイスマンとの間で闘わされた自然淘汰と獲得形質遺伝をめぐる論争を題材として,科学者と一般社会との対話のあり方について考察される.続く章では精神医学や文化人類学における進化学の刻印づけがレビューされている.一見,影響がなかったようにみえても,進化学は個別の周辺諸科学に対してさまざまな深さと変容とともに影響を及ぼしてきたことがわかる.
第II部「進化論から見た社会」では,進化思想を一般社会のあり方に反映させようとしたいくつかの試みが科学史的に回顧される.〈闘争する社会〉はポーランドのグンプロヴィッチが提唱した社会進化論を,続く〈『動物社会』と進化論〉はエスピナスの人間社会論を,それぞれとり上げる.〈加藤弘之の進化学事始〉は天賦人権論を捨て弱肉強食を唱えた加藤弘之の進化論的的転向と国家主義的旋回をたどる.また,〈群体としての社会〉と〈個体としての生物,個体としての社会〉は,それぞれ明治時代以降の日本における進化思想の普及に努めた丘浅次郎と石川千代松の事績を掘り起こす.これらの章は世界的に拡散したダーウィニズムがそれぞれの国に上陸したあと,どのような変容と受容を遂げたかを垣間見させてくれる.
第III部「人種と優生学」は,優生学と優生運動を思想的に支えたバックボーンを検証する.〈人口とその徴候〉は,優生学の祖であるフランシス・ゴルトンの生物統計学の理論を再検討することにより,優生学の理論的ベースとなった統計学の思想的背景に切り込む.〈アメリカ人類学にみる進化論と人種〉では,アメリカという国に固有の事情を背景にしたアメリカ人類学派の活動を見渡し,ダーウィン進化論に対する二律背反的な独特の受容のあり方を指摘する.人種概念が重視されたことが後年のフランツ・ボアズに帰せられる文化相対主義の基盤をつくったとのことである.続く〈人種主義と優生学〉では,アメリカにおける人種概念の社会的影響を同国の移民政策に関連づけて論じる.進化思想の社会的発現のひとつである優生学は科学史的な分析の格好のテーマだと思う.日本における優生学・優生運動を概観する章があってもよかったのではないか.
第IV部「ダーウィニズムの現在」は,進化思想の現代的諸問題を論じる.〈「ダーウィン革命」とは何であったか〉は現在進行形としてのダーウィン革命のあり方を世界観・歴史性・目的論などいくつかの視点から鳥瞰する.〈必然としての「進化の操作」〉はさまざまな生物に対してこれまで行われてきた実験的・遺伝的・遺伝子的操作は人間が「進化の操作」の技術をすでに手にしていることを意味すると指摘し,その延長線上に「文化としての自然」という考えを提示する.著者は自然という文化をどのようにコントロールするのかが現代の人間社会に科せられた課題だと言う.最後の〈進化経済学の現在〉は,人間の経済活動を進化学の観点からどのように説明するのかについて,いくつかのモデルを提示し,今後の進むべき方向を示唆する.
ひとつひとつの章は十分なページが割かれていることもあり,情報量も多く知らなかった点について教えられる箇所が多々あった(事項索引が必要だ).しかし,論文集全体としての出来はイマイチである.理由ははっきりしていて,多くの章の議論スタイルが個々の研究テーマを掘り下げることに終始していて,もっとグローバルな視点 現代にまで続くダーウィニズムの世界的伝播のプロセスへの関連づけ が欠如しているからである.「ダーウィン革命は人文・社会科学にどのような影響を及ぼしたか」というオビに書かれたメッセージそれ自体は魅力的だ.決定的に問題があるのは,個別的な研究を大局に結びつけようとする姿勢のなさであり,各論をまとめ上げるような総論が欠けているということだ.
編者は「本書はダーウィニズムにかんする思想史的・社会史的研究であるが,ダーウィニズムと社会という問題はけっして過ぎ去った歴史ではなく,現代の問題なのである」(p.iv)と言う.確かにその通りだ.にもかかわらず,本書全体を通読したとき,ダーウィニズムの現代的問題への接続を意識させるものがあまりにも希薄であることに驚かされる.それぞれの章で語られるエピソードなり事件なりはいずれも現代進化学の研究課題や問題状況と何らかのつながりがつけられるだろう.そのような現代へのつながりが強調されていたならば,きっと本書を手にする読者層の幅がもっと広がっただけでなく,最後まで読んでみようとする意欲が持続したのではないかと思う.
三中信宏(11/November/2003)
【目次】
はしがき i
ダーウィニズムと人文・社会科学(阪上孝)3
一 ダーウィニズムと人文・社会科学 その二つの局面 3
二 第一局面におけるダーウィニズム 10
三 累積的変化の理論 ソースティン・ヴェブレン 17
四 「文化進化論」 27
I 概念と論争
ダーウィンを消した女 クレマンス・ロワイエと仏訳『種の起源』(北垣透) 46
一 知の広がりの諸様態 46
二 『種の起源』の進化と変異 50
三 翻訳のダイナミズムとポリティクス 55
四 フェミニズムとレイシズムのあいだ 62
五 一元論的唯物論 74
六 ダーウィンの威光 81
カプセルのなかの科学 スペンサー=ヴァイスマン論争(小林博行) 89
一 舞台と発端 92
二 争点 三つのレベル 99
三 基本的対立 114
四 余波と副産物 116
「変質」と「解体」 精神医学と進化論(大東祥孝) 127
一 変質論と進化論 129
二 「解体」学説と進化論 137
三 「変質」と「解体」の精神医学における進化論的意義 148
四 ダーウィニズムと精神医学 151
親族研究に置ける進化概念の受容 進化から変容へ(田中雅一) 159
一 進化から歴史へ 160
二 類別的名称とは? ドラヴィダ型親族名称体系 165
三 『人類の血族と婚姻の諸体系』の初稿 170
四 進化主義の導入 173
五 『古代社会』における家族と親族 176
六 モーガン以後の親族研究 レヴィ=ストロースとニーダム 179
七 進化を決定する要因 スリランカの漁村から 183
II 進化論から見た社会
闘争する社会 ルドヴィク・ダンプロヴィチの社会学大系(小山哲) 192
一 「ファシズムへの予備工作」? 192
二 ポーランド・ポジティヴィズムと進化論の受容 194
三 グンプロヴィチのプロフィール 203
四 グンプロヴィチの社会学大系 進化論との関連を中心に 208
五 「ポーランドの土壌」から生まれたもの 224
『動物社会』と進化論 アルフレッド・エスピナスをめぐって(白鳥義彦) 237
一 エスピナスの位置づけ 237
二 エスピナスの経歴 241
三 『動物社会』について 244
四 社会学への道 247
五 動物社会への視点 258
加藤弘之の進化学事始(武田時昌) 265
一 近代日本に置ける進化論の啓蒙活動 265
二 バックル文明史観からダーウィン進化論へ 270
三 人口論とダーウィン説 279
四 人種論における進化説 285
五 ドイツ進化主義者の影響 290
六 加藤弘之の進化論理解 295
七 『日本之開化』の進化学 302
八 社会ダーウィニズムへの傾斜 305
九 科学知識としての進化論 311
群体としての社会 丘浅次郎における「社会」の発見をめぐって(上野成利) 318
一 丘浅次郎と「社会」の発見 318
二 生存競争と適者生存 生物の進化 325
三 団体生活と服従西神 人類の滅亡 331
四 自然淘汰と人類改良 社会の進化 337
五 生存競争と相互扶助 生物の階級 343
六 有機体国家から群体社会へ 349
個体としての生物、個体としての社会 石川千代松における進化と人間社会(斎藤光)360
一 石川千代松の位置 363
二 石川の進化思想を測る二つの水準点 369
三 『進化新論』におけるダーウィン的構図と個体論的構成 380
四 進化と社会 395
III 人種と優生学
人口とその徴候 優生学批判のために(宇城輝人)410
一 統計 413
二 写真 426
三 優生学の視点 441
アメリカ人類学に見る進化論と人種(竹沢泰子) 452
一 『種の起源』以前のアメリカ人類学 モートンとアメリカ人類学派 454
二 ダーウィンと人類学 459
三 進化論とアメリカ人類学者 ブリントン、パウエル、クロッソン 464
四 シカゴ世界大博覧会と人種の展示 パットナム 471
五 人類学にとっての進化論 481
人種主義と優生学 進化の科学と人間の「改造」(アメリカの場合)(小林清一) 490
一 心理学の展開と遺伝の科学 492
二 移民問題と人種主義 498
三 遺伝の科学と優生学 504
四 優生運動 断種と移民制限 513
五 優生運動の転換と遺伝の科学 520
IV ダーウィニズムの現在
「ダーウィン革命」とは何であったか(横山輝雄) 534
一 コペルニクス革命とダーウィン革命 535
二 ダーウィン革命についての二つの解釈 539
三 ダーウィン革命と世界観の問題 544
四 ダーウィン革命と歴史性の問題 549
五 ダーウィン革命と目的論の問題 551
必然としての「進化の操作」 現代社会における人と自然の行方を考える (加藤和人)559
一 現代における進化の科学と思想 560
二 実験生物学と「進化の操作」の可能性 566
三 生態系の変化 すでに操作されている自然 579
四 人と自然の見方について 「文化としての自然」を考える 581
進化経済学の現在(八木紀一郎) 588
一 進化的な科学革命の構造 588
二 再生した進化経済学 諸潮流 592
三 出現しつつあるコア構造 600
四 岐路か統合か 進化経済学の現在の課題 610
ダーウィニズムの展開 関連年表 631
人名索引 [650-640]
執筆者一覧 652