『書評はまったくむずかしい』

赤坂憲雄
(2002年5月19日刊行,五柳出版,isbn:4-906010-98-9

【書評】

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書評はまったくおもしろい



本書のタイトルに惑わされてはいけない.民俗学の書評集として読んだとき,本書はたいへん充実した内容をもっていると私は感じた.最近10年あまりの間に著者がさまざまなところで発表した書評の集成である.内容は,朝日新聞書評欄をはじめとする単行書の書評で,長いものでも10ページを越えることはほとんどない.柳田国男の思想を中心として,民俗学歴史学にまたがるさまざまな話題が,重心をずらしながらも,くり返し登場する.



書評を読む楽しみは,ターゲットとなる書評本の内容と併せて,書評者のスタンスをじかに感じ取れる点にあると私は思う.とくに,自分が過去に読んだことがあるあるいはこれから読もうと思っている本が書評されていると,同意/異論は別にしてつい深く読みこんでしまう.その点で,民俗学という特定分野のまとまった書評集が出たことは一読者としてたいへんうれしい.タイトルに迷わされることなく,多くの読者が本書をひもとくことを期待したい.



一読者としては確かにおもしろく読めるのだが,書評者の立場から見るとそれほど単純なことにはならないのかもしれない.冒頭の3エッセイ??「書評は批評の場ではない」,「書評に疲れている」,「書評のモラルとは何か」??は,書評に対する著者の見解を簡潔にまとめている.「この国のジャーナリズムの世界では,書評は書物の批評を意味するわけではない.批評など,誰ひとり期待していない」(p.11).著者・編集者など関係者との人間関係に気を使うあまり,「なるべく波風の立たない,お茶を濁すだけの書評を心掛けるようになる.そうして,さらに書評からは,面白味やスリリングさといったものが欠落してゆく」(p.17).このような書評の難しさを前にして,著者は「書評がこれほどに,労多くして報われぬ仕事であることを知る人はたぶん,いたって少ない」(p.18)と言う.



人文系の書評ってなんだかたいへんだなぁと同情する.自然科学系の本ならば,まちがっている点はそう指摘すればすむ話だし,著者側に反論があればパブリックに言えばいいわけ.実際,私の知っている自然科学系の雑誌では長大な書評論文に対して,著者が噛みつくという事例は事欠かない.私にとっては,書評は,ターゲットとなる本の内容を吟味した上で,他人の購読意欲に効果的に影響を与えられるかどうかがポイントとなる.ダメな本はダメだし,いい本はいいと言うだけ.もちろん,箸にも棒にもかからない本は最初から書評しないので,あえて書評にとり上げるからには自分なりの判断がそこに入る.また,署名書評しかしないので,逃げ場はもともとないと私は腹をくくっている.



全体を通読し終えた後でふりかえると,書評に対する著者の見解には私は共感できない.というか,「書評に疲れた」(p.22)と告白する著者が,なぜこれほどまで精力的に「書評」を書き続けてきたのだろうか? この発言と実践との齟齬が私には納得できない.著者はこの点についてもっと言うべきことがあるのではないだろうか.



本書を読んだ私の第一印象は「書評はまったくおもしろい」だった.こういう書評集ならば,続刊を期待したいほどだ.



三中信宏(10/June/2002)