『温泉文学史序説——夏目漱石、川端康成、宮沢賢治、モーパッサン』読了

岡村民夫
(2024年10月30日刊行、水声社[水声文庫]、東京, 290 pp., 本体価格2,800円, ISBN:978-4-8010-0829-8目次版元ページ

読了。日本各地の温泉と文学作品との関係を詳細に論じている。漱石が通い詰めた道後温泉や熊本の温泉群を舞台とする第1章と、彼が伊豆の修善寺温泉湯河原温泉に場所を移した第2章の結論として、「夏目漱石こそ『本格温泉小説』の開祖と考えられるのだ」(p. 80)という評価が下る。川端康成を論じた第3章では、伊豆・湯ヶ島温泉湯ヶ野温泉での『伊豆の踊子』と、越後湯沢温泉での『雪国』などから、「漱石が本格温泉小説の祖とすれば、川端はその中興の祖といっても過言ではなかろう」(p. 147)と総括される。第4章の宮沢賢治は、生まれ育った花巻の温泉地(鉛温泉大沢温泉など)を彼の作品に取り込み、「やはり宮沢賢治は日本の温泉文学におけるトリックスターだ」(p. 218)と呼ばれる。その一方で、温泉紀行ライターだった田山花袋の評価はかなり低い:「花袋の場合、視点が単数的で、構成力が弱く、温泉場の表現が一面的で平板である」(p. 254)。

最後の第5章ではフランスの作家モーパッサンが登場する。かれこれ20年ほど前に、ウラディミール・クリチェク[種村季弘・高木万里子訳]『世界温泉文化史』(1994年12月10日刊行,国文社,東京, ISBN:4-7720-0371-1書評)なる本を読んだことがある。西洋の温泉文化が日本とは大きく異なっていることがよくわかる本だった。東西の温泉文化のちがいは温泉文学の違いとしても反映されていて、モーパッサンの温泉小説が日本の文壇に浸透しなかった理由はそこにあるのではないかと『温泉文学史序説』の著者は示唆している。

本書では各地の温泉地の由来も論じられていて、日本の温泉が湯治場から観光地へと変遷していく過程の文学作品への影響も論じられている。獅子文六が『箱根山』(1962)という温泉小説を書いていたことを本書で初めて知った。とりわけ、花巻に生まれ育った宮沢賢治が近場の鉛温泉大沢温泉となぜ関係が深かったのかもわかる。ワタクシ的には鉛温泉の〈藤三旅館〉のネーミングの由来(pp. 180, 194)を知ることができてよかった。この〈藤三旅館〉は田宮虎彦『銀心中』(1952)の小説と映画の舞台であるとともに(p. 182)、2015年に公開された綾瀬はるか主演の映画〈海街 diary〉のロケでも使われた。