『消えゆく言語たち:失われることば,失われる世界』

ダニエル・ネトル&スザンヌ・ロメイン

(2001年05月29日刊行,新曜社ISBN:4788507633



【書評】※Copyright 2001 by MINAKA Nobuhiro. All rights reserved

保全言語学」の活動とその目標を論じた刺激的な本

過去五百年間に全世界の言語のおよそ半数がすでに絶滅し,今世紀中に現存する言語(5000〜6700語)の少なくとも半数がさらに消滅すると予想されている.言語多様性は文化多様性にほかならない.したがって,言語の絶滅は文化の絶滅を意味する.ところが,生物の絶滅に対しては社会的な関心が高いのに,言語の絶滅はあまり注目されてこなかった.

生物とその生育環境の保護を目指す「保全生物学」は,すでに社会的に広く認知されつつある新しい分野である.進化によってこの地球上に存在している多くの絶滅危惧生物たちが保全の対象とみなされるのであれば,同様に人間とともに進化してきた「絶滅危惧言語」たちもまたしかるべき保全の対象とみなされるべきだろう.本書は,ある言語がどのようにして進化し,そして死んでいくのか,その背景と原因は何か,ある言語を守るためにはどのようにすればいいのかという保全言語学の問題設定と活動理念を具体的事例を通じて論じる.

言語データベースを駆使して言語多様性を概観すると.言語多様度は地理的に均一ではなく,とりわけ熱帯雨林(東南アジア・アフリカ・中米)での言語多様度の高さが突出している.生物多様度に関するホットスポット地域が同時に言語多様度からみたホットスポットでもあるという事実は,生物と言語との並行性を支持する.

本書のもっとも大きな特徴は,生物と言語との間に見られるこの並行性を【生物-言語多様性】という統一的な新たな観点から論じた点にある.実際,本書からは,言語多様性を生物多様性と一体化させことにより,言語多様性を論じる姿勢がはっきり読み取れる.保全生物学に関心のある読者ならば,本書に構想されている保全言語学のビジョンを容易に理解できるだろう.保全言語学保全生物学と滑らかに連帯することにより,自然・生物・人間を大きく含む,より大きな「保全学」の一部を構成することになる.

言語の死因は,話者の消滅あるいは言語の移行(政治的強制あるいは社会・文化的圧力)のいずれかである.ある言語が死ぬことで,いったい何が喪失されるのか? 著者らは,地域的知識,民俗分類,そして認知体系の三つが言語の絶滅とともに失われると著者らは指摘する.言語多様度の高い地域は「平衡」状態にあると描写されている.この言語平衡の理論は,最近訳出されたディクソン『言語の興亡』に詳述されている.

言語平衡にある世界がどのようにして崩れ,生物言語多様性が失われるにいたったのかについて著者らは,人類学史の観点から,農耕の起源と産業革命の進展という二つの軸を立てて,この問題に迫る.採集狩猟社会では言語は分化するが,いったん農業をもった民族が外から到来すると,その民族の言語に同化してしまうケースが多いと著者らは指摘する.実際,農耕技術の「波」が押し寄せてこなかった地域−東南アジア・アフリカなど−では,言語多様度が高く維持されていると言う.ジャレド・ダイアモンド銃・病原菌・鉄』の人類史ストーリーが想起される.

言語多様性を保全する意義と展望について,著者らは,言語多様性と経済的発展とを両立させる道は可能だが,われわれ自身の行動規範を積極的に変革し,現地の知識体系を有効利用する方途を模索せよと言う.ローカルな環境を熟知しているのは,そこに長年にわたって生活してきた現地人であり,それは現地語でコード化された知識体系に表現されている.現地語を「自然資源」として保全することは,現地の知識体系を守り,ひいては現地の社会・文化・生態系の持続可能なな発展につながると主張する.ただし,その前提は,中央集権ではなく,ローカルな社会の自己決定権(「言語権」をも含む)を尊重することである.

 生物多様性と言語多様性の保全とをタイアップして考えている点で,本書はユニークであり,その文体は明快で著者らの意気込みがダイレクトに伝わってくる.保全言語学に初めて接する読者にもきっと興味深い読み物になるだろう.もちろん,保全生物学に関心をもつ読者にとっても,新たな視野の広がりがきっと感じ取れるだろう.また,訳者あとがきでは,日本語で読める関連文献がたくさん紹介されており参考になる.




目次】
はじめに i

第1章 消えた言語はいまどこに? 1
 なぜ,どのようにして,言語は滅びるのか? 6
 いつ,どこで,言語は危機に陥るのか? 10
 なぜ,死んでいく言語を心配するのか? 15
 何ができるのか? 36

第2章 多様性の世界 39
 言語の数はどのくらいあるのか,どこで話されているのか? 41
 言語多様性の温床 50
 言語の危機−どれほどの脅威にさらされているのか 59
 生物・言語多様性−相関する言語世界と生物世界 62

第3章 失われることば/失われる世界 75
 突然死と自然死 77
 自然史に起こること 80
 失われてゆくもの1−バラに別の名前を? 85
 失われてゆくもの2−私のものは私のもの? 96
 失われてゆくもの3−女,火事,危険なもの 101
 失われた言語,失われた知識 107

第4章 言語の生態学 119
 楽園のバベル−パプア・ニューギニア 122
 なぜ,かくも多くの言語があるのか? 128
 言語の死に方 136
 何が変わったのか? 149

第5章 動植物相の波動 151
 旧石器時代世界システム 154
 新石器革命 159
 新石器時代以後のさまざまな軌跡 171
 新石器時代の余波 175

第6章 経済の波動 197
 支配の高まり 200
 経済の躍進 205
 最初の犠牲者−ケルト諸語 208
 発展途上世界への拡散 224
 二重の危険 232

第7章 なぜ,何かをなすべきなのか? 235
 なぜ保護しなければならないのか? 238
 選択をするということ 240
 言語・開発・持続性 242
 先住民族の知識体系 260
 言語の権利と人間の権利 269

第8章 持続可能な未来 275
 言語維持のためのボトムアップ・アプローチ−事例研究 277
 小を固めて大を制す? 290
 「2言語併用[バイリンガル]なんかこわくない」 297
 心を喪失して生きる 303
 生き残るための戦略−天然資源としての言語 311
 いくつかのトップダウン戦略 313

訳者あとがき 321
文献 (25-38)
注 (13-24)
索引 (1-11)