『社会生物学論争史:誰もが真理を擁護していた(2)』

ウリカ・セーゲルストローレ

(2005年2月23日刊行,みすず書房,下巻:ISBN:4622071320



【書評(2/2)】

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◆勝ったのは「誰」だったのか?(続)◆

第2巻に突入.第二部〈社会生物学論争を読み解く〉の第10章「批判者たちの心のうち」と第11章「科学の庭園における攻防」読了.60ページほど.社会生物学の批判者たち(「人民のための科学」グループ)の批判の理念と戦略についての論議.とくに,彼らが陥った「道徳主義的誤謬(moralistic fallacy)」が描かれていて興味深い.道徳的・政治的な誤りは必然的に科学的にも誤っているにちがいないという先入観が批判者側に犯させた過誤.とくに,社会生物学者を「プランター(植える人)」,それに反対する批判者を「ウィーダー(抜き取る人)」と性格づけることにより,著者はウィーダーに割り振られた“消防士”的役割あるいは“警察官”的役回りをあぶりだす.

第12章「社会生物学論争の中のハムレットたち」と第13章「伝統の衝突」では,第1部での historiography を踏まえた第2部は,なかなか読み応えのある章が多い.第12章では社会生物学論争の中で“微妙な”立ち位置にあった研究者たちのエピソード.続く第13章では,一方の社会生物学推進派が「ナチュラリスト」的伝統を背景に,現象に関するモデル化や仮説づくりのもつ発見的意義を積極的に認めようとしたのに対し,他方の社会生物学批判派がむしろ旧来的な「実験主義」的伝統をバックにしてナチュラリスト的「ええかげんさ」を叩くという構図が見られたと指摘する:




ウィルソンにとって重要なのは,モデルが現実の「真の記述」であることではなく,モデルの予見的な力(あるいは「適応性」)だった.けれども,ルウォンティンにとっては,モデルは現実を「正しく」記述していなければならなかった.…… このように,ウィルソンとルウォンティンの衝突は,普遍主義者のレヴェルで起こったのであり,そこには相互理解のためのなんらかの基盤を提供するような共通のナチュラリスト精神 ?? あるいは,この問題に関しては,批判精神 ?? は存在しなかった.(p. 458)


著者が指摘するこの「ナチュラリスト的アプローチと実験主義的アプローチの対立」(p. 463)は,社会生物学をめぐる推進派と批判派との間に,ほとんど認識論的な断絶に近い状況を生んだ:




かくして,IQ論争および社会生物学論争の基盤の上に形成された二つの学者陣営は,事実に関する知識,当然とされる前提,そしてメディアといった事柄に対する態度について,実質的に,二つの異なる世界で別に生きることになったと言うことができる.(p. 479)


第14章「科学の本性についての対立する見方」と第15章「論争につけこむ」は,とてもおもしろい.前章に続いて,社会生物学批判派(ならびに反IQ運動)を率いたルウォンティンの科学観をさらに分析する.実験科学的な方法こそ「善き科学」の本来のあり方だとみなす彼の(そして批判派の)立場からすると,進化生物学や行動遺伝学で実行されているモデルに基づく立論やさらには統計学的な推論まで含めて「容認されざる行為」という判決を下されることになる.これは,事実関係のレヴェルでの違いなどではなく,認識論のレヴェルでの断絶があったのだと著者は言う.




こうした研究者[社会生物学者ならびに行動遺伝学者]にとって,モデルづくり,統計学,その他は,最終的な目標に達するための暫定的な方法であった.測定は実在の現象に近づくための間接的な方法であった.しかし,批判者にとっては,科学的成功の秘密を握っているのは実験的な科学だけであり,「非実在的な」前提と統計的数式に基づいたモデルではなかった.(p. 482)


グールドもまたこの点ではルウォンティンと同じ歩調を取る.『The Mismeasure of Man』の中で,彼がIQに反対する論拠の核心は:




統計学的な構成物であるg[一般知能]の「物象化」だという主張を行なった.グールドによれば,gにかかわる問題は,明らかに多次元的な概念である知能を,単一の次元に還元し,さらに,それは人工物であるがゆえに,根底に横たわる物理的実在性を明らかに表していなかったことであるという.グールドがとりわけ嫌悪したのは,「単なる一要因の存在が,それ自体で,因果的な推論のライセンスが与えられると仮定する慣行」だった.(p. 487)


グールドがここで批判している,統計手法としての因子分析(あるいはその延長線上にある共分散構造分析)は,潜在因子に基づく統計的モデリングの手法であって,それぞれの因子が「物象化(reification)」されるかどうかはどうでもいいことだとぼくは理解している.しかし,グールドはそれこそが問題であると言う.統計学を知らないはずがない(というか,大学院生の頃から因子分析に通じていたはず)の彼がそういう発言をする真意がよくわからなかったのだが,ルウォンティンの(ならびに批判派に共有されていた)科学観の文脈のもとであらためて考えてみれば確かによく理解できる(というかそれ以外の反論の立て方はなかったとさえ言える).もちろん,ここで批判された心理学者アーサー・ジェンセンが当然の反論をしていることを著者は見逃さない:




実際には,グールドが「物象化」だと誤解しているものは,任意の領域の内部で観察される関係を説明するために,説明的なモデルや理論を仮説としてつくるという,あらゆる科学に共通の慣行にほかならない.……それならば,グールドは,観察できる現象の因果的な説明に関して仮説的な構成物あるいは何らかの理論的な推論を用いるというあらゆる科学に共通の権利を,心理学が使うことを否定するというのか.(pp. 487-488[ジェンセンからの引用])


批判派は「真の因果関係」(p. 488)を見いだすことに科学の目標を置いたと著者は指摘する.単に,モデルづくりや統計分析では相関関係はわかっても,因果関係には到達できないだろうという見解である.本章の後半で論議されている「還元主義(reductionism)」をめぐるごたごたもまた,批判派が方法としての「還元主義」を存在論としての「還元主義」と同一視したという事実を軸に理解することができると著者は考えている.確かにそうかもしれないね.

第2部の最後にあたる第15章は,社会生物学論争を通して,「最適化戦略家」たる科学者たちの動機づけと収穫物を探っている.推進派にしろ批判派にしろ,科学者たちはその論争を通して「何を得た」のかという点について,著者は推進派は「科学」の領域で利益を得たのに対し,批判派は「道徳」の領域で社会的認知を獲得したと結論する.

この大著の最後にあたる第3部「科学をめぐる闘いの文化的な意味」では,長きにわたった社会生物学論争の意味と意義について,科学社会学の観点から総括する.「社会生物学オペラ」もいよいよ再終幕となった.とくに,科学論争における「道徳的論議」が重要であるという著者の見解が末尾で展開されているのが注目される.単に,1970〜1980年代の「社会生物学」だけでなく,それをとりまく現代進化学の“その後”(たとえばウィルソンの「生物多様性」論の起源とか)を視野に入れた立論がなされている.錯綜したストーリーを無理に解きほぐすのではなく,それでいてこの社会生物学タペストリーを紡ぎだした縦糸と横糸を明快に指し示す著者の力量はたいしたものだと思う.

第16章「社会生物学者とその敵:二五年後の棚卸し」−−この章では,20年に及んだ社会生物学論争の「その後」の知的状況の変化をたどる.1990年代以降のもっとも特筆されるべき変化は,人間そのものを進化的に考えるという観点への「抵抗」がしだいになくなってきたことだと著者は指摘する:




一九八〇年代の終わりに向かうにつれ,科学的発展と歴史社会的発展の両方の影響によって,顕著な風潮の変化がすでに現われていた.人間行動を生物学的に説明することに対する世界大戦後のタブーは破綻したように思われた.(p. 535)




人間行動の説明に生物学的な制約をもち込むことへの文化的な抵抗も比較的弱まっていった.…… 長きにわたった文化主義者と普遍主義者の闘争は,普遍主義者にとって有利な形で解決してしまったように思われる.(p. 536)



推進側を後押しする生物学における知的変化と同時に,批判側にとって不利な政治的要因が二つ重なったことも同時に考えなければならない:




いくつかの歴史的な出来事もまた,批判者たちの立場を弱体化させるのに力を貸したかもしれない.一九八九年[ベルリンの壁崩壊の年]以降,中心的な批判者の一部に見られたマルクス主義的立場は政治的により危ういものになってしまったようで ……(p. 537)




若い世代のポストモダン的関心に照らしてみれば,急進的な社会生物学批判者は,今や時代遅れの真理の擁護者として退けられてしまう危険があった.(p. 537)



つまり,マルクス主義そのものの危機とともに,ポストモダン科学論の擡頭が結果として社会生物学批判者の足を引っ張ることになったと著者は言う.この点については次の第16章で詳述される.

批判派がこのようにぐらつきつつあったようすを横目に,ウィルソン自身は社会生物学を推進した頃の〈Wilson I〉から,生物多様性への愛を伝導する〈Wilson II〉へとさらなる「進化」を遂げた(pp. 538 ff.).この移行は大成功で,政治的にまちがった〈悪い Wilson I〉と比べれば,政治的に正しい良き Wilson II〉は急速に学界と社会に受け入れられるようになったという.しかし,それはウィルソンが社会生物学から「転向」したことを決して意味せず,むしろ新たな次元での社会生物学的統一を目指していたのだと著者は言う.その現れが第17章の中心テーマである彼の著書『コンシリエンス[知の挑戦]』(訳書『知の挑戦:科学的知性と文化的知性の統合』)だった.

これらの次なるステージに進む前に,著者は「ウィルソンは何を成し遂げたのか」という疑問に答えて,彼は社会生物学という「分野」を一挙に構築したのだと結論する:




すなわち彼[ウィルソン]は,その潜在的なメンバーに向かって,それが存在することを示すことで,一つの分野をつくりだしたのである−−部分的には,彼のプロジェクトへの貢献者として招き入れることによって!(p. 547)


この第16章の中で,ぼくが関心をもったのは,社会生物学を批判してきたルウォンティンと当時新たに発展しつつあった生物学哲学との関わりだ.遺伝子淘汰説に対抗する立場としての提出された Sober & Lewontin (1982) 「Artifact, cause, and genic selection」(Philosophy of Science, 49: 157-170)は,因果過程としての自然淘汰の単位は,必ずしも遺伝子だけでなく,それよりも上のレヴェルにも作用し得るという群淘汰(複数レヴェル淘汰)を主張した.この論文はエリオット・ソーバーがルウォンティンのもとで研究していたときの出力のひとつだ.後に,ソーバーの『The Nature of Selection: Evolutionary Theory in Philosophical Focus』での論議の核になる「selection for」と「selection of」の区別は,もともとルウォンティンとの共同研究が出発点となって結実したものだということに注目したい.同様に,「社会生物学に対する最も厳しい批判者」(p. 550)だったフィリップ・キッチャーの『Vaulting Ambition』(1985年,Cambridge University Press)もまた,ルウォンティンのもとで彼が研究を進めていた時の著作だと言う(p. 551).ルウォンティンには「後進をうまく育てる」力量があったのだ(p. 545).

群淘汰(複数レヴェル淘汰)をめぐる論争には表層と底流のふたつの「流れ」が潜んでいるようだ.この点については,第19章で再び論じられる.※何ともフクザツなことでして.

ポスト社会生物学論争(1990年代)を見渡すこの章には,ほかにも人間行動進化学会(HBES)設立の経緯とか,グールド/ドーキンスの踊る“タンゴ”とか,数多くのトピックスが詰め込まれていて,まとまりが悪い気がする.しかし,それだけ多くの「泡」が生まれ続けた時期でもあったということなのだろう.

第17章「論争による真実:社会生物学論争とサイエンス・ウォーズ」:社会生物学論争と「サイエンス・ウォーズ」との関わりについて論じる.ウィルソンは,グロス&レヴィットの反ポストモダン科学論本『高次の迷信』(1994年)に同調して,科学を擁護する発言をしていたが,社会生物学を推進してきたウィルソンの立場と,反ポストモダン陣営との間には無視できないズレがあった.というのも,反ポストモダニズムはグールドを自分たちの陣営に引き入れたからだ(ルウォンティンは無視された).一方,ポストモダン科学論を推進してきた左翼から見ると,グールドやルウォンティンは「古い世代のマルクス主義者」と見られ,距離を置かれたという.このごちゃごちゃしたストーリーは何とかならないのかな.著者の意図とは裏腹に,社会生物学論争と「サイエンス・ウォーズ」は絡めて論じない方がむしろよかったのではないか.

第18章「啓蒙主義的探求の解釈」は,ウィルソンの著書『コンシリエンス[知の挑戦]』をめぐる話題を集める.諸学問の「統一(unification)」を求めるこの本は:




ヒューウェルにとって,コンシリエンスが異なった科学分野からのさまざまな説明の結合を意味したとすれば,ウィルソンにとってコンシリエンスは,それ以上のものを意味した.それは,知の単一性,それも,とりわけ特定のタイプの単一性を意味した.ウィルソンは普遍的「コンシリエンス」すなわち,知の統合に向けての探求をはるか遠く啓蒙主義の時代にさかのぼって跡づけた.(p. 608)



という.著者は,ウィルソンの主張に沿って,『コンシリエンス』の意味を説いているが,もっと至近的に,それは近代の「統一科学運動(the Unification of Science Movement)」の一環だったという解釈もあり得たのではないか(V. B. Smocovitisのように).動機づけはともかく,ウィルソンが進化学を中核とする諸学の統一を目指していたことは明白だった:




『コンシリエンス』は,実際に,さまざまな形で,自然科学と人文科学が進化生物学の信条のまわりで統一することを強く説いていた.(p. 633)



著者は,ここにウィルソンの社会生物学が目指していたものと「統一科学」との連続性を見いだす.

続く第19章「科学的真理と道徳的真理の緊張関係」では,著者の見解が前面に出されている.著者は科学理論のもつ“道徳的影響”を重視してきた:




自然主義的誤謬といった事柄についてのおしゃべりは学者にとってのもので,自らの生き方の指針を必死になって探し求める人々にとってのものではない.進化生物学が,少なくともこうした種類の推論から身を守る訓練を受けていない人々,あるいはそれに代わるべき確固とした道徳的枠組みをもたない人々にとって,暗黙の道徳的/政治的メッセージをもっていることは疑問の余地がない.(p. 648:訳では「道徳的/道徳的」となっているが間違いだろう)



この認識の上に,著者は進化生物学の戦略を三つに分ける(p. 652):1)科学を価値から切り離す;2)科学を積極的に価値と結びつける;3)望ましい社会的価値をもつような科学をつくる.そして.第3の選択肢の例として,著者は最近の群淘汰モデル(具体的には Sober & Wilson『Unto Others : The Evolution and Psychology of Unselfish Behavior』)を挙げる:




ソーバーとウィルソンの群淘汰への忠誠心は,科学的真理と道徳的/政治的真理の結合というハイパー啓蒙主義的探求の好例かもしれない.(p. 666)



??? 本当にそうか? 最近の「群淘汰」理論の復活が,結果として一部の人々に「大きな慰め」(p. 664)を与えているのは事実かもしれない.だからと言って,それを目指しての理論構築というのはおそらく深読みし過ぎだろうとぼくは思う.しかし,全体として本章には傾聴すべき論点がいくつもある.たとえば,本章で呈示される




科学の潜在的な意味合いをめぐる道徳的/政治的論争をすることがとるべき唯一の方策かもしれない.(p.676)



という主張は,次の最終章での基調となる.

最終章である第20章「魂を賭けた闘い:そして科学の命に懸けて」は,社会生物学論争の全体を「道徳的/政治的」な関心(懸念)をめぐる論争だったと総括する.それは決して否定的意味においてではなく,むしろ積極的意味において述べられている点が著者の見解の特徴だ:




社会生物学論争は,道徳的/政治的懸念に満ちあふれていた.…… しかし,まさしく,道徳的懸念が含まれていたという事実が,社会生物学に有益な効果を及ぼしていたかもしれない.それは,この発展中の分野を,まっすぐな狭い道に保つことはなくとも,少なくともある種の引き綱に−−方法論的・認識論的に−−つなぎとめてきたのかもしれない.(p. 704)




私は,道徳的/政治的懸念が,解消されるべき障害というにはほど遠く,実際には,この分野における科学的主張の創出と批判の両方における原動力であり,そのゆえにこの分野はよりいいものになったということを,主張しているのである.(p. 707)



社会生物学論争の「勝者」はいったい誰だったのか???著者の言葉は実感が込められている:




社会生物学論争における真の勝者は進化生物学そのものかもしれない.(p. 544)



この大作「社会生物学オペラ」の結末を飾るモノローグとしては実にふさわしいセリフだとぼくは思う.(嵐のような拍手.果てしなく続くカーテンコール,……)

公刊された論文や著書だけでなく,著者自身が関係者から個人的に訊き出したさまざまな内部情報を踏まえて本書は書かれている.「過程としての科学」を生き生きと叙述するために科学論研究者が用いるこの方法はつねに「諸刃の剣」であることを当の科学者たちはよく知っている(本書が「モデル」としたであろう David Hull の『Science as a Process: An Evolutionary Account of the Social and Conceptual Development of Science』が“役者”である体系学者たちからさんざん批判されたように).公開されていない情報は,当然のことながら,さまざまな主観的バイアスや意図的選択を受けていることは確実で,そういうことをきちんとわきまえた上で,本書の描き出す“オペラ”の舞台上演のようすを想像することが読者側の姿勢として求められるだろう.オペラの総譜は必ずしも舞台初演と一致しているわけではないのだから.

最後に,これだけの大著をわれわれが日本語で読めるのはほかならない翻訳者の労苦のおかげである.どうもありがとうございました.マイナーなミスがいくつか散見されますが,全体の中で言えばまったく気にならない程度でした.

三中信宏(24/March/2005)