『Material Beings』

Peter van Inwagen

(1990年刊行,Cornell University Press, Ithaca, x+299 pp., ISBN:0801483069 [pbk] → 目次著者サイト版元ページGoogle Book Search

復習中.この本を読んだのは10年前のことだった(ちょうど『現代によみがえるダーウィン』を書いていたころ).van Inwagen は生物個体(organism)を範型例とみなし,part をもつための必要十分条件は whole が「生命(life)」を有することであるというきわめて説得力のある(というか生物学者なら納得する)メレオロジー説を提示した.いささか“変態的”な仮想例や思考実験に耽りがちな現代の形而上学者にしてはとても“健全”な考え方が魅力的だった.

要するに,“生きもの”だけが whole / part というメレオロジーの対象であって,それ以外の対象物にはメレオロジーは適用できないというのが van Inwagen の考えである.ただし van Inwagen の主張を通用させるためには,「生命をもつかどうか」という点を個々の例について明らかにする必要がある.たとえば,Michael Ghiselin の「種個物(species-as-individual)説」は種タクソンは whole であって個々の生物個体はその part であるとみなすメレオロジー説を展開してきた.van Inwagen 的に言えば,Ghiselin は種タクソンが「生命」をもつことを示さなければならないということだ.もちろん,Ghiselin ならばその論拠をいくつも並べ立てるにちがいない.しかし,そもそも「種タクソン」を whole とみなすその動機づけの論議にはつながらない.

van Inwagen 風に言うならば,「そもそもなぜ“種タクソン”があるのか」というような設問をまじめにしなければならないということだ.※まったくもって「形而上学」ですなあ.