『害虫の誕生:虫から見た日本史』

瀬戸口明久

(2009年7月10日刊行,筑摩書房ちくま新書793],217 pp.,本体価格720円,ISBN:9784480064943目次版元ページ

【書評】※Copyright 2009 by MINAKA Nobuhiro. All rights reserved

本書が書店の新刊コーナーに並んでいたときすぐにゲットしたのだが,ほぼ著者からの献本が職場に届いていた.どうもありがとうございます.江戸時代の以降,明治時代を経て,ふたつの世界大戦にいたる日本の近代の中で,人間社会に関係する「虫」がどのように扱われてきたかを論じている.こういう側面から日本の「害虫学史」に切り込んだ本は今まで見たことがない.さらに,日本の農政と応用昆虫学の歴史としても読める.

つまみ食い的にぽつぽつ読んでみる.明治時代の日本における「応用昆虫学(害虫学)」の学問的成立とその社会的背景についての追跡がおもしろい.たとえば,岐阜に今もある「名和昆虫研究所」の半世紀にわたる昆虫の研究活動と普及活動が時代とともにその位置づけをどのように変えてきたかは,ひとつの歴史的エピソードとしてとても興味深い.ここはかつて一度だけ訪問したことがあるがこういう歴史を経てきた研究所だとはぜんぜん知らなかった.

江戸時代から明治時代の時代の変遷の中で,昆虫をめぐる農民たちの在来的知識体系(自然観)と“御上”から降ってきたさまざまな害虫防除指導や法的強制とが激しく衝突し続けた経緯があったという.そもそも〈害虫〉という概念化それ自身が近世の社会的産物であるという著者の視点は注目すべきだろう.「害虫」は自然現象であるとみなしていた農民にとって,〈害虫〉だから駆除すべきであるという発想はもともと無縁だったということだ.

明治以降の応用昆虫学(害虫学)はいい意味でも悪い意味でも「実学的」であることを要求され続けてきた.とりわけ,大規模な国策的プロジェクトが動き出すとき,少しでも「実学的」ではない研究テーマは徹底的に抑え込まれたという.たとえば,稲の大害虫だったニカメイガの防除プロジェクトが本格的に発進した1920年代には,基礎的な昆虫分類学の研究は冷遇されたと記されている.このニカメイガプロジェクトの推進本部が置かれたのは,日本の応用昆虫学の本丸だった農水省農事試験場昆虫部だったが,1922年に昆虫部長に着任した木下周太の最初の仕事は“博物学的研究”の徹底的なパージだったという:


そこで一九二二(大正ー一)年に三宅のあとを受けて昆虫部長に就任した木下周太は,部下たちに対して分類学の研究を禁止してしまう.直接に食糧増産に結びつかないような研究は,農事試験場でやるべき研究ではないというのである.後年の木下の回想によれば,「分類の報文は上司の手に押さえられ,応用に関する研究と抱合わせでなければ出版せぬという強いお達し」があったため,やむを得ず昆虫部の方向性を転換せざるを得なかったという.(p. 141)

このニカメイガプロジェクトの研究史も含めた全容は,つい最近出た新刊:桐谷圭治・田付貞洋(編)『ニカメイガ:日本の応用昆虫学』(2009年11月20日刊行,東京大学出版会,東京,vi+292 pp.,本体価格7,000円,ISBN:9784130760287目次版元ページ)に詳しい.瀬戸口が指摘しているように,日本の害虫研究の歴史においてこのプロジェクトは,昆虫生態学が国内で大きく発展する素地を与えた.

明治政府の“サーベル農政”に象徴される「上から」の農業指導の名目で「害虫思想」がいかにして日本全土に広められていったか,それと並行して害虫学(応用昆虫学)や医動物学の学問的体制がどのように形をなしていったか,さらには害虫駆除のための農薬研究が第二次世界大戦下でどのようにして軍事研究(毒ガス研究)に関わっていったか —— 本書が主として目指すところは科学研究がさまざまな外的要因の影響のもとにたどった変容のありさまを害虫研究を題材にしてたどることにある.著者が言う通り,「害虫と人間の関係」ひいては「自然と人間の関係」はそれぞれの時代状況を背負って変容してきたということだ.

三中信宏(13 December 2009)