『牡蠣と紐育』書評

マーク・カーランスキー[山本光伸訳]

(2011年12月10日刊行,扶桑社,東京,303 pp., ISBN:9784594065041目次版元ページ

【書評】※Copyright 2012 by MINAKA Nobuhiro. All rights reserved

カキの眼点がとらえたニューヨークの自然破壊

地球上の豊かな自然と生物相はいまや人跡まれな地の果てまで行かないと体験できない.ところが,17世紀にオランダ人が大西洋を横断して初めて到達したアメリ東海岸のニューヨーク(紐育)一帯は,彼らが驚くほど豊穣な自然に恵まれ,先住民レナペが定着した地域だった.現在ではいくつもの摩天楼が空に刺さるマンハッタン島は,ほんの二百年前までは森と湿地が広がる野趣あふれる島だったことは,たとえ本書で当時の古地図を見せられたとしても,もはや想像すらできない.

 

本書は,かつてのニューヨーク一帯を記録した昔の旅行記や寄稿文を手がかりにして,この地域の自然と環境がともなってどのように変質していったかをたどっている.書名にもなっている「牡蠣」はこの地域がもともともっていた自然の豊かさの象徴にほかならない.しかし,そこに描かれているのは自然環境と人間社会との錯綜した関わり合いである.先住民との融和と排除そして渡来した西洋人どうしの対立など,ニューヨークを舞台として繰り広げられた世界史的できごとも本書の重要なテーマである.

 

第一部「エデンのカキ」の舞台は古き良き時代のニューヨークの回想である.たとえ貧乏人であっても,近くの海に行きさえすればいつでも好きなだけおいしい牡蠣が食べられるニューヨーク.かつては1フィートもの巨大な牡蠣がいたらしい.しかし,第二部「ソドムの都市」に入ると雰囲気は一変する.アメリカ先住民を強制的に排除してつくられた町とそこに住む利己的な新住民(ニューヨーカー)たちは周囲の海を急速に汚染していく.19世紀後半まではマンハッタンのいたるところで牡蠣料理店が繁盛したという.それにしてもおそろしいほど大量の牡蠣をこの地域の人々は消費し続けていたらしい.先住民のレナペ族も新参者のニューヨーカーたちもこの点では何のちがいもなかった.そして,ニューヨーク一帯の牡蠣が枯渇するとともに,遠方から牡蠣を運びこまれるようになったという.

 

現在,マンハッタン中心部のグランドセントラル駅舎のなかにある人気店〈Grand Central Oyster Bar〉もそのルーツをたどれば,かつては本書に登場する一般庶民を相手にした安い牡蠣料理屋にさかのぼれる.しかし,それほど豊富に産した牡蠣が急速な水質汚染によりニューヨーク沿岸地域から姿を消すまでにはあまり時間がかからなかった.本書は牡蠣の視点からニューヨーク一帯の自然史と社会史を見据えた歴史書である.それと同時に,生物としての牡蠣の分類・分布・生態についての解説があり,都市における環境政策が失敗したケーススタディーのひとつとしても読むことができる.

 

なお,本書には,昔の料理本に載っていた牡蠣料理のレシピがいたるところに挿入されていて興味を惹く.「カキの貝殻焼き」(p. 89)とか「カキフライ」(p. 186)はやや月並みかもしれない.当時の保存食だったという「カキの漬けもの」(p. 90)はたとえうまくてもきっと食べ飽きるにちがいない.しかし,「オイスター・パイ」(p. 88)や「カキの肉詰め」(p. 265)なら食体験してみたいかも.しかし,大きさが1フィートもあって「赤ん坊を食べるような」(p. 99)と英作家サッカレーが形容したような巨大な牡蠣はちょっとなあ…….

 

三中信宏(2012年2月14日|2012年2月29日改訂|2019年5月30日再改訂)



※本書評原稿の短縮版は時事通信社書評として2012年2月に配信された.