『百鬼園戰後日記(下卷)』

内田百閒
(1982年4月20日刊行,小澤書店,東京, 367 pp.)

下巻は1947年6月1日から1949年12月31日まで.小澤書店のクロス装幀はいつ撫でても心地よい.黄ばんだ朝日新聞の切り抜きが挟まっていた.出版後すぐに出た種村季弘の書評「40年代の空白埋める」(1982年6月15日付)だった.

『思考の体系学:分類と系統から見たダイアグラム論』重版出来!

三中信宏
(2017年4月25日刊行,春秋社,東京, 6+316+23 pp., 本体価格2,500円, ISBN:978-4-393-33355-6コンパニオン・サイト版元ページ

出版四年目にしてやっと重版出来! 第2刷は今月末に出るとのこと.数式まわりと文献リストはかなり “蟲捕り” した.

『読む・打つ・書く —— 読書・書評・執筆をめぐる理系研究者の日々』イベント詳細

三中信宏
(2021年6月15日刊行,東京大学出版会東京大学出版会創立70周年記念出版],東京,xiv+349 pp., 本体価格2,800円(税込価格3,080円), ISBN:978-4-13-063376-5コンパニオン・サイト版元ページ

一週間後に迫ってきたゲンロンカフェでのイベントの詳細が決まった:ゲンロンカフェ:三中信宏×山本貴光×吉川浩満理系研究者が指南する本の遊びかた――『読む・打つ・書く』刊行記念」2021年7月2日(金)19:00開始@ゲンロンカフェ(五反田)※〈シラス〉と〈ニコニコ生放送〉からオンライン配信.

『虫たちの日本中世史:『梁塵秘抄』からの風景』総括

植木朝子
(2021年3月1日刊行,ミネルヴァ書房[叢書〈知を究める〉・19],京都, vi+327+11 pp., 本体価格3,000円, ISBN:978-4-623-09058-7目次版元ページ

最後の終「豊かなミクロコスモス」では,全体の総括として『梁塵秘抄』やその他の今様に謡われた “蟲類” の特徴を同時代の和歌などの文学作品と比較して考察する.まず際立つ特徴として著者が挙げるのは “蟲類” の行動と動作への注視だ.著者は和歌と今様では注目される “蟲類” が異なるという:

「これらを概観して気づくのは,ほとんどの場合,「遊ぶ」「舞う」という言葉がともに使われているということであり,こうした語は『梁塵秘抄』今様の虫の把握を端的に示すものと思われる.すなわち,「遊ぶ」「舞う」の語は虫の動きに注目することによってこそ選び出されるものであって,虫の芸能化を媒するものといえるのではないか.こうした今様の特徴は,伝統的な文芸たる和歌と比較することでより際立つ.和歌においては,蛍や蜘蛛を除いては松虫・鈴虫・蟋蟀・蟬・蜩など鳴く虫を取り上げることが圧倒的に多い.(中略)鳴かない虫であっても,その虫の動きそのものを捉えて歌うことはまずないといってよい.和歌の鳴く虫と今様の舞う虫は対照的な様相を示していよう」(pp. 320-1)

著者の指摘する「虫の芸能化」は本書の重要なメッセージだ.虫の見せる動作と行動の特徴を人間が模倣してなぞらえることで, “蟲類” は益虫・害虫という実利的な対置を超えるもっと近距離の存在感を平安時代の日常生活の中で示すことができた.本書に登場する以外の “蟲類” もまた日本各地で人間社会と密接につながっていたことは:野本寛一『生きもの民俗誌』(2019年7月30日刊行,昭和堂,京都, xviii+666+xxiii pp., 本体価格6,500円, ISBN:978-4-8122-1823-5読売新聞書評目次版元ページ)にも膨大な事例を踏まえて考察されている.

—— 中世文芸史研究から広がるのは予想外の昆虫民俗学への視界だった.日本の歴史的文脈(中世文学・芸能)をたどれば, “蟲類” がどのような存在として捉えられてきたかの手がかりがつかめるというのは意外や意外と言うしかない.

『虫たちの日本中世史:『梁塵秘抄』からの風景』第5〜7章

植木朝子
(2021年3月1日刊行,ミネルヴァ書房[叢書〈知を究める〉・19],京都, vi+327+11 pp., 本体価格3,000円, ISBN:978-4-623-09058-7目次版元ページ



第5章「中世の子ども・武将・芸能者たちと遊ぶ虫 ── 蜻蛉」はトンボの話題だ.ここでも「あきづ」「とうぼう」「かげろふ」という名前の問題はある(pp. 192-3).それよりも,子どもの遊び相手として愛されたトンボの役割(「とんぼ捕り」「とんぼ釣り」)がクローズアップされる(pp. 198 ff.).また,トンボの「勝虫」としての縁起を担いで戦国武将たちの甲冑にも用いられたという(pp. 216 ff.).

ワタクシ的に印象に残った記述は,蹴鞠の名手として知られた平安貴族の藤原成通が今で言う “オーバーヘッドシュート” を決めて,そのわざは「とんぼうがえり」と呼ばれるようになったという逸話だ(pp. 225-226).その後の歌舞伎でも軽業としての「蜻蛉返り」が流行したという(p. 235).

第6章「中世の意匠と巣を編む虫 ── 蜘蛛」の主役は蜘蛛だ.第4章のチョウが凶兆であったのに対し,日本文化のクモは逆に吉兆だったという(p. 237).現在のチョウとクモの持つイメージとは正反対であるのに驚いてしまう.ギリシャ神話のアラクネはアテナに罰せられてクモの形に変えられたわけだから,西洋文化とも正反対のイメージをもつことになる(p. 242).ときには妖怪の “土蜘蛛” に变化したりすることはあっても,人間(親族・愛人・友人など)同士のつながりと絆を象徴するクモは,当時の日本社会の中では現在よりももっとヒトに身近な生物だった.クモに幸あれ.

第7章「中世人が聞いた秋に鳴く虫 ── 松虫・鈴虫・轡虫」は鳴く虫のオンパレードだ.最近だとマツムシよりもスズムシの鳴き声の方が耳にする機会が多い.しかし,著者はかつての嗜好は逆だったと言う:「松虫と鈴虫は並び称されるが,たとえば和歌に詠まれるのは,松虫の方が多く,用例数からいえば,鈴虫の用例の三倍近い」(p. 298).もちろん,清少納言のような熱烈な鈴虫ファンも少なくなかったようだ.これらに比べればかしましい轡虫(クツワムシ)は人気がなかったらしい(p. 302).

『虫たちの日本中世史:『梁塵秘抄』からの風景』第3〜4章

植木朝子
(2021年3月1日刊行,ミネルヴァ書房[叢書〈知を究める〉・19],京都, vi+327+11 pp., 本体価格3,000円, ISBN:978-4-623-09058-7目次版元ページ



第3章「中国文芸と鳴く虫・跳ねる虫 ── 機織虫・蟋蟀・稲子麿」の最初は “鳴く蟲” だ.その実体と名称との対応が時代的変遷し,現在の「キリギリス」「コオロギ」「カマドウマ」はかつてはそれぞれ「はたおりめ」「きりぎりす」「こほろぎ→いとど」と呼ばれた(pp. 108-9).こんがらがる…….「鳴く虫」の代表であるコオロギは同時に「闘う虫」でもあった.本章で言及される中国由来の「闘蟋」の遊びは本書でも引用されている:瀬川千秋闘蟋:中国のコオロギ文化』(2002年10月10日刊行,大修館書店[あじあブックス・044],東京, 4 plates + viii + 255 pp., ISBN:4-469-23185-1書評・目次)に詳しい.

次の第4章「王朝物語から軍記物語へ飛び交う虫 ── 蝶・蛍」は熟読する価値が高い.とくに蝶(チョウ)をめぐる昔と今のちがいについて,著者はこう指摘する:「花園に飛び交う蝶は,現代人の感覚からすれば,美しく優雅であって,賞美の対象としてなんら違和感のないもの」(p. 146)だった.しかし,「『万葉集』には蝶は詠まれず,中古・中世の和歌においても,生物としての蝶が正面から取り上げられ,愛でられることはほとんどなかった」(p. 146).その理由は「蝶はむしろ不吉なものであった」(p. 157)という連想が強かったからだ.美麗にして凶兆という蝶のもつ二面性に納得する.

蛍(ホタル)は蝶よりも不吉かもしれない.なぜなら,「日本の古典文学の中で,蝶に代って霊魂を表す虫 —— それは,蛍である」(p. 166)から.和泉式部の恋情,源三位頼政の亡魂,「腐草為蛍」の言い伝えなど当時の作品を挙げながら,生と死の变化を暗示する無常観の存在を著者は指摘する.

『虫たちの日本中世史:『梁塵秘抄』からの風景』第1〜2章

植木朝子
(2021年3月1日刊行,ミネルヴァ書房[叢書〈知を究める〉・19],京都, vi+327+11 pp., 本体価格3,000円, ISBN:978-4-623-09058-7目次版元ページ



第1章「中世芸能に舞う虫 ── 蟷螂・蝸牛」では,舞い踊る “蟲” が登場する.カマキリ(蟷螂)は当時の芸能や猿楽に登場する滑稽者だったという.著者は「攻撃性に注目されることの多い蟷螂を,人間と調和的な存在とし,舞う者と捉えた今様の精神」(p. 17)と指摘する.

タツムリ(蝸牛)もまた舞い踊る “蟲” とみなされていた.著者は『堤中納言物語』に所収される有名な「虫めづる姫君」を例に挙げて(p. 18),蝸牛をめぐる中国由来の伝承に言及するとともに,踊るカタツムリの物語は日本・朝鮮・中国から欧米さらにはロシアまで広範に分布しているという.

第2章「中世の信仰と刺す虫 ── 蜂・虱・百足・蚊」の冒頭では, “虫めづる姫君” の父親とされる太政大臣・藤原宗輔が「蜂飼の大臣」として登場する.さまざまな逸話が示されるが,とりわけ興味深いのは,社会性昆虫としての蜂の行動・生態的な特徴が “虫の智恵” として一般に周知されていた点だ.

シラミ(虱)・ムカデ(百足)・カ(蚊)と聞けば現代人ならば血相を変えて叩き潰すところだが,第2章に登場するこれらの “刺す蟲たち” は,今様や能に擬人化されて出てくるほど身近な生きものたちで,必ずしも排除されてはいない.これらの害虫ですら現代人とは異なる付き合い方があったようだ.

『虫たちの日本中世史:『梁塵秘抄』からの風景』読了

植木朝子
(2021年3月1日刊行,ミネルヴァ書房[叢書〈知を究める〉・19],京都, vi+327+11 pp., 本体価格3,000円, ISBN:978-4-623-09058-7目次版元ページ



蝶・蛍・蜻蛉・蟷螂・蟋蟀・虱・蜘蛛・稲子麿などなど中世の人々の生活と昆虫との関わりを描く.とてもめずらしい視点の日本史書. 寝読み本としてゆるゆる読了した.日本人と “蟲類” との関わりを平安時代末期の『梁塵秘抄』を含む当時の「今様(歌謡)」から見たユニークな本だ.

冒頭の「序」で著者は言う:

「虫は気持ち悪い,苦手だという声がある一方で,たくさんの人が虫に惹かれるのはなぜなのだろうか」(p. 1)

「私自身を含め,現代の人々の持つ,虫への矛盾した思いは,過去とどのようにつながっているのか,多くの先達に導かれながらたどってみたい」(p. 2).

ワタクシは,12世紀の歌謡文化などぜんぜん知らなかったし,もちろん『梁塵秘抄』を読んだこともなかった.しかし,『鳥獣戯画』並みに歌い踊る “蟲類” の姿が平安の昔に活写されていたことが本書からわかる.ジャンル的には日本史の本なのだろうが,内容は “民俗昆虫学” とみなされるべきだろう.