『知の分類史:常識としての博物学』

久我勝利

(2007年1月10日刊行,中央公論新社中公新書ラクレ236], ISBN:4121502361



【書評】

※Copyright 2007 by MINAKA Nobuhiro. All rights reserved


新書の形式をうまく利用して,古代から現代まで,東洋から西洋にいたる「分類思想」を見渡そうという本だ.生物分類に関する記述のほとんどは第1章にある.それ以外は,百科事典(第2〜3章)と図書分類(第4章)に関する内容である.だから,「分類」と言われて延髄反射で「生物分類」を思い浮かべた読者は肩すかしを食わされるだろう.むしろ,守備範囲としては,中尾佐助分類の発想』や坂本賢三『「分ける」こと「わかる」こと』に近いものが感じ取れる.本書は,そのような「一般化された分類」に着目して蒐集された事例集という位置付けになるだろうか.

両端章では,著者の目から見た「分類」の一般論が述べられている:



では,現代はどうなのか.分類学は,ついに単独で学問とはならなかった.かならず,“植物の”分類学であったり,“動物の”分類学であったり,“図書の”分類学であったりする.それらの分類学は,専門家の仕事でしかない.…[中略]… では,現代では分類などもはや必要ではなくなったのだろうか.(p. 24)

分類するとは,人間の基本的能力であり,また非常に高度な技術です.それにもかかわらず,分類が単独の学問として真剣に研究されてこなかったのは不思議なことです.(p. 222)


著者のこういう見解が,たとえまちがっていないとしても,偏った見方であると言うのはたやすいことだ.対象を特定しない分類の「形式」に関する一般的論議は昔も今も連綿とあったのだから.しかし,そういう一般論の厳密性を本書に求めてもしかたがないだろう.むしろ,「分類」そのものに関心をもつ読者層を予想してこういう新書が書かれたことが考えさせられる.著者自身は「分類」のもつ実利的側面にも関心があるようだ.一般読者は「分類」のどんなことに興味をもって本書を手にするのだろうか.博物学や百科事典に象徴される「知の分類」ではまだ抽象的過ぎる.もっと具体的な何か(現世的御利益)がそこにあるのだろう.

本書はいい意味でも悪い意味でも「新書スタイル」の本なので,内容的な深みを求めることはできないだろうし,著者側にもその意図はないようだ.だからと言って,高みから見下ろす鳥瞰図的なレビューでもない.むしろ,たとえていえば,“仲見世”を駆け抜ける,あるいは“錦小路”を走り過ぎるような読後感だ.古今東西の分類書や百科事典の「陳列」を間近で横目にしつつ,スライドビューのようにどんどん進んでいく感じ.おもしろい“店”があっても,あえてそこで立ち止まらない定速走行.

ぼくは,この本の200ページ余りを1時間の歩き読みで読了した.このペースが最適読書速度のようだ.それ以上の高速読書では“動体視力”がついていかないし,かといって過度にのろのろ読んでいると,“店々”にトラップされて先に進めなくなる.著者が言うように,「駆け足の旅」(p. 221)を満喫するのがベストなのだろう.広義の“分類”に関心のある一般読者に向けて書かれた新書だが,“分類”を生業にしている読者も楽しめると思う.

三中信宏(10 January 2007)