『移行化石の発見』

ブライアン・スウィーテク[野中香方子訳]

(2011年4月10日刊行,文藝春秋,東京,428 + xvii pp.,本体価格2,095円,ISBN:9784163739700目次版元ページ

【書評】※Copyright 2011 by MINAKA Nobuhiro. All rights reserved

寡黙な「証人」に進化を証言させる

地層の中に残された化石記録は生物進化の「証人」である.近年の生物進化の研究では遺伝子のDNA塩基配列など分子レベルのデータが広く用いられるようになってきた.そういう趨勢が強まっている時代にあっても,化石がもたらす情報はかけがえがない.古生物学者やコレクターたちによって運よく堆積岩の中から発見された,現在は絶滅してしまってこの地球上にはもはや実在しない生き物が思いがけない進化物語語り部となる.それは確かにロマンあふれる逸話である.



本書の著者はそのような偶然と幸運を通じて得られた化石のひとつひとつが,地球上の生物の過去の闇に対して一条の光を発し,その結果,多くの新事実が解明されてきたことを示している.子どもたちが目を輝かせる恐竜の変遷過程,われわれヒトがたどってきた進化の歴史,ウマの化石記録が進化論に及ぼした影響,そしてクジラやゾウたちの謎に満ちた系統発生など,本書には,化石が物語る証言によって命運を立たれた学説,それとは逆に脚光を浴びてよみがえった理論の実例がいくつも挙げられていて,古生物学史のケーススタディーにもなっている.そして,生物進化が偶然に支配されているのか,それとも必然的な道のりを進むのかという思想的な大論争にも関係することを読者は知るだろう.



化石が発見されたからと言って,すぐさま欠落した進化史のミッシング・リンクが埋まるわけではない.化石そのものだけではなく,それが出土した地層の様相や付随する状況証拠を十分にそろえることによって,初めて系統進化の仮説をきちんと検証することができる.何十億年もの過去から現代にやってきた化石は,古生物学という現代科学の法廷に立っても,なかなか舌鋒滑らかに「証言」をしてくれるわけではない.ときには化石の証言を誤解した科学者たちがあやまった判決を下してしまうことも多々あった.口べたな証人である化石からいかに証言を得るのかが裁判官たる化石研究者の腕の見せ所となる.



著者の基本的スタンスは,たとえ分子レベルのデータが重宝される現代にあっても,化石が物語る「証言」を無視することはできないという点である.もちろん,大半の体系学者に取って,遺伝子の分子データと現生生物・古生物の形態データはいずれも利用価値があると考えるにちがいない.しかし,系統解析における化石のもつ認識論的地位は,ここ半世紀の間に,著者が考える以上に大きく変わってきた.



1960年代末から始まった分岐学(cladistics)は,それまでの古生物学において化石がもっていた“特権的地位”のほとんどを剥奪した.情報源が現生生物・古生物のいずれかを問わず,系統推定において経験的にテスト可能な命題は,分岐図として表現できる姉妹群関係であって,系統樹として表される祖先子孫関係ではない.系統推定における「祖先」の追放は分岐学革命の必然的帰結であり,もはやそれ以前に逆戻りすることはできない.



系統推定において,分岐図(cladogram)と系統樹(phylogenetic tree)の概念上のちがいはいま一度はっきりさせておく必要があるだろう.しかし,本書ではそこのところが曖昧にされたまま,個々の事例が積み重ねられているので,最後まで「化石」のもつ系統学的地位がはっきりしない(それが著者の狙い目かもしれないが).分岐学に照らしたときの古生物学的証拠がもつ情報量とそれがもつ系統関係の解明能については,分子系統学の「大波」が到来する前の何冊かの本で論じられている(Rieppel 1983, Tassy 1991, Gee 2000 ※いずれも古生物学の立場から分岐学がもたらしたインパクトを考察している).



系統推定における化石は現生生物と同じ terminal taxa のひとつにすぎない.したがって,系統樹の欠落部分をつなぐ「ミッシング・リンク」の発見はかつてほどの輝きをもはやもたない.せいぜい,化石という幸運なタクソン・サンプリングを通して,姉妹群関係のひとつを解明することができるという意義しか与えることはできないということだ.現代の系統推定論におけるこのような地殻変動をふまえたとき,化石発見の冒険譚は冷厳な現代体系学の枠組みの中に静かにくるみこまれていくのは必然の結末といえるだろう.



本書全体を通じて,いささか煽り気味な文体が気になるが,化石記録の重要性とそのおもしろさを象徴するエピソードが随所に配置されていて最後まで読者を飽きさせない.とりわけ,本書に掲載されている多くの化石の写真や図表を見ると,かくも断片的な骨や歯の破片から生物の全体像を復元するばかりか,これらの絶滅動物たちの当時の生きざままで“透視”できてしまう研究者たちの眼力の鋭さに驚嘆せざるをえない.化石に感心のある読者ならばきっと図版にも魅了されるはずである.



原書は:Brian Switek 『Written in Stone: Evolution, the Fossil Record, and Our Place in Nature』(2010年11月刊行,Bellevue Literary Press, New York, ISBN:9781934137291版元ページ).



参考文献

  • Olivier Rieppel (1983), Kladismus oder die Legende vom Stammbaum. Birkhäuser Verlag[Offene Wissenschaft], Basel, 190 pp.
  • Pascal Tassy (1991), L'arbre à remonter le temps: les rencontres de la systématique et évolution. Christian Bourgois Éditeur[Collection « Épistémè Essais »], Paris, 352 pp.
  • Henry Gee (2000), Deep Time: Cladistics, The Revolution in Evolution. Fourth Estate, London, x+262 pp.


三中信宏(2011年6月13日)



[付記]本書評の改訂短縮版は2011年6月7日に時事通信社文化部から配信された.