『Does Science Need a Global Language? : English and the Future of Research』―書評1/3

Scott L. Montgomery

(2013年5月刊行,The University of Chicago Press, Chicago, xiv+226 pp., ISBN:9780226535036 [hbk] / ISBN:9780226010045 [eBook] → 詳細目次版元ページ

【書評】※Copyright 2015 by MINAKA Nobuhiro. All rights reserved



科学の「リンガ・フランカ」がもたらす光と影(1/3)



一昨年,新刊で出たときにすぐ買って読み始めたのに,途中で放り出したまま2年が過ぎてしまった.やっと読了.科学英語の歴史と展望を論じたとてもおもしろい本であると同時に,英語でアウトプットし続けている現役の研究者にとっても得るものが多いだろう.



かつて David Crystal[デイヴィッド・クリスタル/國弘正雄訳]『地球語としての英語』(1999年1月8日刊行,みすず書房,東京,iv+215+x pp., ISBN:462203381X情報)は,英語のネイティヴ・スピーカーは今や少数派であり,その数倍もの非ネイティヴ・スピーカーが世界中で増大しつつあると指摘した.彼は,地球規模でグローバル化してしまった「地球語としての英語」は言語として絶え間なく変化し続け,その結果,複数形としての「新たな英語たち(new Englishes)」を生み出しつつあると述べている.本書に寄せた序文のなかで Crystal はこのキーワード「new Englishes」をふたたび登場させ(p. x),現代科学が “共通語” として用いている科学英語もまた今なお変化し続けているのではないかと予測する.



ワタクシたち研究者にとって,国際会議での発表や学術誌への論文投稿などでの英語によるさまざまな研究アウトプットはいまや日常のことである.しかし,研究者が英語で話し,英語で書き,英語でやりとりするとき,その “英語” はいったい何者なのかについて深く考える機会はあまりないのではないだろうか.Scott L. Montgomery の本書は,詳細なデータと関連資料を踏まえつつ,現代科学のリンガ・フランカたる英語(あるいは英語たち)の現状と将来予測,そしてそれが科学と科学者さらに科学者コミュニティーに及ぼす影響について考察する.Montgometry は,科学における英語使用の現状分析に始まり,英語学習や英語教育にいたるまで,「証拠に基づいてものを言う」というモットーを掲げて議論を展開している.巻末に付けられた詳細な註を見れば,単なる思いつきや特殊例からの無理な一般化が入り込む隙はない.



ワタクシたち日本人は自らが読み書き話す “英語” について,ともすれば過度に神経質になりすぎているのがふつうではないだろうか.“ネイティヴ英語信仰” がとても強いように思われる日本のいまの趨勢を振り返るとき,本書が最後に到達する科学英語における「言語的公平性」と「複数言語主義」のスタンスは学ぶべきところが多い.非ネイティヴ英語ユーザーである多くの日本人にとって,「“ネイティヴ英語信仰” は百害あって一利なし」と言い切る本書は “[科学]英語” に対する別の見方があることを示してくれる.



英語に関して “ネイティヴ” のように「流暢(fluent)」である必要はない.むしろ,互いに「理解し合える(intelligible)」ことこそ重要なのだという著者の単純明解な結論は,科学のリンガ・フランカとしての英語がもたらす暗い「影」よりもきらめく「光」の方がまさっているという著者なりの楽観主義の発現でもある.もちろん, “非ネイティヴ” である日本のワタクシたち研究者にとっては,そんなきれいごとではすまされない経験や感情がくすぶり続けるかもしれない.しかし,そういう日本(あるいは東アジア)の言語文化的特性もまた本書で言及されているのが興味深い.



Chapter 1「A New Era」(pp. 1-23)では,本書全体として取り組むべき疑問点「科学はグローバル言語を必要としているのか?」(p. 8)が呈示される.すでにこの点に関しても甲論乙駁の論争が続いているらしいが,著者の基本的立場は,科学の共通グローバル言語としての英語がもたらすさまざまな問題点は確かにあるのだが,それでもなお得られる恩恵の方がより大きいという主張で首尾一貫している(p. 9).



かつてのアラビア語ラテン語がグローバル言語だった時代を経て,英語がその地位を占有した現在,アメリカやイギリスなどの anglophone な英語ユーザーよりも,それ以外の non-anglophone な英語ユーザーの方が人口的にはるかに上回っている.その結果,英語世界の中での力関係が変わりつつあると著者は指摘する:



The universe of English is no longer centered on the United States and the United Kingdom. Most communication in the language is between non-native speakers, and this will only grow. English has become something different from “native” or “second” tongue; it is now a global means of communication whose use and advance are much greater than American influence. (p. 13)



英語がグローバル化した結果,それぞれのローカルな地域ごとに「言語進化」が進展する.David Crystal の主張に沿いつつ,著者は次のように言う:



At the spoken level, the language has become decidedly, inevitably plural. Linguists, in fact, do not speak of “world English” any longer but rather “World Englishes” or “new Englishes.” (p. 14)



すなわち,“英語” とは単一の実体ではなく,地域ごとに分化した “変種(varieties)” の集合体としてのみ存在するということになる.言語進化的には当然ありえる変化プロセスだろう.



Chapter 2「Global English: Realities, Geopolitics, Issues」(pp. 24-67)は,英語がどれくらいグローバルなのかを証拠を踏まえて把握しようとする.言語地理学のデータベースなど基礎資料をもとにして,著者は話者数・英語教育・使用分野・地政要因などいくつかの観点から英語と多言語との比較を進める.その上で,グローバル化した英語における「規範(standard)」の問題を取り上げる:



The reality of world Englishes raises the issue of standards. Are there now no final reference points for the English language? Are such standards soon to become irrelevant? The answer is no, as any corporate manager or scholar will tell you. Anglo-American English has not lost its role as a global norm in one major and critical domain: professional written discource. Here, what is called Standard Written English (SWE) continues as a de-facto world orthodoxy. (p. 57)



Written English にはやはり「規範」があると著者はここで主張する.しかし,同時にその「規範」は必ずしも絶対的ではないと言い添える:



The spoils of the battle for “whose English?” will therefore always be intelligibility. To this point, world Englishes have remained fully intelligible to one another in professional writing ― a good thing for any profession having a global reach. (p. 59)



Yet in some areas, such as the natural sciences, where a higher degree of global consensus comes to exist for established knowledge, a set of flexible norms roughly agreed upon by journal editors, publishers, and researchers appears to be possible. Growing fragmentation (and thus isolation) would be resisted; it would be seen to generate “rogue” knowledges and thus not serve the international scientific community well. (p. 60)



では,written English ではなく spoken English についてはどうか.著者は英語話者を「English as a native language [ENL]」,「English as a second language [ESL]」そして「English as a foreign language [EFL]」の三つの段階的カテゴリーに分ける.ESL話者は4億人足らずなのに対し,ESL話者は18億人,そしてEFL話者は20億人を越えている(p. 62, Figure 2.1).“ネイティヴ英語話者” の10倍もの “非ネイティヴ英語話者” が存在する現状を考えたとき,英会話教育のこれまでの規範は変わるしかないだろうと著者は言う:



Now the widespread claim that the traditional native-speaker model is too narrow and unhelpful. (p. 63)



The native-speaker model (read: US-UK standard) prevents people in non-anglophone nations from taking ownership of the language and the methods of teaching it. Indeed, this model does have its origins partly in colonial ideology. (p. 64)



【続】



三中信宏(2015年5月28日)



  → 科学の「リンガ・フランカ」がもたらす光と影(2/3)
  → 科学の「リンガ・フランカ」がもたらす光と影(3/3)