『東大駒場寮物語』

松本博文

(2015年12月10日刊行, 角川書店, 東京, 287pp., 本体価格1,800円, ISBN:978-4-04-103277-0目次版元ページ



【書評】※Copyright 2015 by MINAKA Nobuhiro. All rights reserved

時には昔の話を

言葉にならないくらいいい本だった.東京大学駒場寮の長い歴史とその終焉までの経緯が詳細に語られている.本書の第1章「ある駒場寮生の話」(pp. 11-94)から第2章「自由の駒場寮史」(pp. 95-172)に書かれている寮内での体験談の多くはワタクシも体験した.同時に,まったく知らなかったことも多かった.『東大駒場寮物語』に描かれている時代は1990年代前半から2000年代はじめまでだ.一方,ワタクシが駒場寮に住んでいたのは本書よりも15年ほどさかのぼる1976〜78年のことだった.本書はもう30年も前の私的な記憶を掘り起こし再生する上でとてもよい “触媒” としての役目を果たしてくれた.

実際,本書を読み進むにつれて随所で昔の記憶がよみがえってきた.思い起こせば,ワタクシが駒場寮に入寮した当初は〈日曜会〉という部屋に入ったが(中寮26-B,のち中寮30-S),二年生になってからは東大オケ部屋をつくった(中寮B側,1階ではなかった).部屋の真ん中に焚き火の焦げ跡が残り,壁には所狭しと落書が書かれていた.駒場寮はキャンパス内の「閉じた生活の場」だったので,ありとあらゆることが起きていた記憶がある.当時は成田空港建設に関わる三里塚闘争がクライマックスを迎えていて,駒場寮内外でいろいろな動きや騒ぎがあった.三里塚に通っていた上級生や同級生も少なからずいた.

もちろん「寮雨」とか「インポ合戦」とか「ストーム」など,本書で言及されているかつての駒場寮ならではの “恒例行事” はすべて実体験した.関東大震災クラスの地震でも倒れないようにと極厚のコンクリ壁で建てられた駒場寮の薄暗い寮内には女子大生はけっして立ち入らなかった.しかし,深夜や早朝に,いないはずの女性の姿を廊下や炊事場で(室内でさえ)見かけることがあったが,あれはきっと幻覚だったにちがいない.

ワタクシが体験した「ストーム」は,真夜中にドアを叩きまわるような生易しいものではなく,ドアを蹴破って狼藉をはたらくタイプが多かった.もちろん,防御する側の寮生はバケツで水を浴びせたり,ときには乱闘による負傷事件になったこともある(それが禁止措置の直接の原因となった).「ストーム」があるときには,事前に察知した寮委員会が「これからストームがある模様です」と寮内放送で “警戒警報” を流していた記憶がある.「ストーム」する側も寮外で「ストーム・シュプレヒコール」を叫んでから寮内に突入していった.そんな時代だった.

いったい何年留年を続けているんだかわからない素性不明の寮生は掃いて捨てるほどいた(泥棒が明寮の空き部屋に住み着いていたこともあった).夏の盛り,中寮の階段の壁にしがみついて「み〜んみ〜ん」と鳴いていたあの寮生はその後どうなったのだろう.寮食堂で余り物が出たときは,夜遅く寮内放送で「 “残食” ありまーす」と流されたとたん,バイソンのごとき地響きが中寮・北寮・明寮から轟き,あっという間に寮食堂に行列ができた.半額で食べられたからだが,当時の駒場寮生はみんな飢えていたんだろう.真夜中の道路工事のバイトは一晩一万円だったせいか大人気だった.本書を手にした元駒場寮生ならば,こういう断片的な記憶がつぎつぎに浮かんでくるにちがいない.

しかし,本書の後半,第3章「駒場寮存続運動」(pp. 173-194),第4章「一寮委員の記憶」(pp. 195-236),そして第5章「駒場寮最後の日々」(pp. 237-280)に詳細に記されている駒場寮廃寮闘争の顛末は,ワタクシのまったく知らない時代のことだ.寮委員長を務めた著者はさまざまな残存資料を踏まえて,駒場寮がどのような経緯で廃止されるにいたったのかをたどる.廃寮に関わった教養学部の教員たちは終始 “ワルモノ” として本書に登場する.確かに,寮生からみればそうなのかもしれないが,駒場寮問題の最前線に立ち会った教員の中には「寮生相手にこんなことまでしないといけないのか」という苦しい自問自答があったことをワタクシは個人的に聞いている.

オビには「自らの居場所を守ろうとした学生たちを描く、哀愁の青春ノンフィクション!」と書かれている.確かにいまの駒場キャンパスには “駒場寮遺跡” しか残っていないもんなあ.〈駒場寮同窓会WEB〉はいまも維持されている.一方で〈駒場寮の公式ホームページへようこそ!〉は廃寮前のままのコンテンツがいまも公開されているようだ.著者によれば,駒場寮関連の大量の資料は別途保管されているとのこと.欲を言えば,巻末に「人名索引」があった方がよかった.

本書のもとになったのは:松本博文「【連載】東大駒場寮物語」(2015年11月3日〜12月4日)という連載記事だ.また,掲載されている駒場寮の写真は,大薄朋子が撮影したものである.彼女の駒場寮写真集『2001年の夏休み 東京大学駒場寮写真集』(2015年9月発行)はネット販売され,その他の駒場寮の写真は Instagramkomabaryo」でも公開されている.本書の出版を記念してこんなイベントも企画されている:本屋 B&B松本博文×中川淳一郎本で書けない駒場寮のキワドい話」『東大駒場寮物語』刊行記念」2015年12月24日(木)19:30〜21:30.

三中信宏(2015年12月21日)



[追記:2015年12月23日]東京大学広報委員会『学内広報』No. 1230(2002年2月22日)[→ pdf].特集は〈駒場寮廃寮の完結と将来の駒場キャンパス〉(pp. 1-23).大学側から見た駒場寮廃寮問題の顛末.