(2004年12月10日刊行,国文社,isbn:4772005072)
【書評(まとめ)】※Copyright 2005 by MINAKA Nobuhiro. All rights reserved
本書の前半では19世紀のイギリスにおける〈文化現象〉としての博物学を論じている.「博物学は科学であってはならない」というのが著者のモットーらしい.「批評家や歴史家はふつう博物学を科学の項目に入れてしまうが,これは不幸なことである.博物学を科学として扱い,博物学が現代的に意味で言う科学的になることを期待するのは,博物学にとって好ましいことではないし,博物学のたぐいまれな魅力をまったく無視することになる[p. 18]」とか「私としてはこう言いたい−−博物学の文章は文学と見なされるべきである[p. 37]」あるいは「結局,博物学は統一的な理論を求める生物学者が修める学問ではなく,美しい細部の魅力にとりつかれた崇拝者たちの同好会の産物である[p. 280]」」という著者のスタンスについては,ぼくは必ずしも同調できない.
続く第4章(pp. 122-168)では,19世紀における科学と文学との乖離(C. P. スノウの言う〈ふたつの文化〉の相克)を論じる.この著者はへんにまわりくどい言い方をしないで,すぱっと言うのが小気味よい.この章では,科学と文学という対置の中で,博物学の占めるべき中間的立ち位置(「雑種的学問」,p. 166)について,著者はこう言う:
- 「科学にくらべると博物学は図式的枠組みにこそこだわってはいないものの,それでも自然界についての詳細な情報をひとつとして見逃すまいとする情熱は,科学に劣らなかった.ただし,自然の事実が集まると,そこから先はそれをどう利用するかによって,科学と博物学とは袂を分かった.科学はそうした事実を理論へとまとめあげる.博物学は,もっと美的な目的をもっていて,自然に関する事実を文学テクストに変える.」[p. 123]
著者は,「科学」をやや狭くとらえているような気がする.たとえば.科学の「美」についての著者の見解:
- 「科学にもある種の美は存在するかもしれない.−−数学者は方程式に簡潔な美しさを見いだすかもしれないし,化学者は実験そのものを,物理学者は理論そのものを美しいと感ずるかもしれない.だが美は科学の目的ではない.科学の目的は知識である」[p. 165]
を目にするとき,とりわけその感を強くする.18世紀以降に戦わされたという「科学対文学論争」の中で,文学側が抱いた危機感を象徴する〈虹の解体〉という詩人ジョン・キーツの言葉を著者は引き合いに出している(p. 161).リチャード・ドーキンスの『虹の解体:いかにして科学は驚異への扉を開いたか』(2001年3月31日刊行,早川書房,isbn:4152083417)は,メリルの原著が出版された頃(1989年)はまだ影も形もなかった.まったく同じキーワードの解釈がこれほど正反対になり得るとは.ドーキンスを持ち出すまでもなく,ハーバート・スペンサーの言葉が反対の立場を擁護する:「科学は詩を消滅させるのではなく,詩的感情を刺激する」(p.372).
博物学が19世紀イギリスの文学や美術の世界にどのように浸透していったかは後半部分の大きなテーマである.当時のネイチャー・ライティングの様式がどのように成立したかとか.第7章では,ラファエル前派の写実的・細密的な絵画スタイルが当時の博物学からの直接的な影響を受けた結果であることが示される.テニソンが強度の近視であり,そのせいで顕微鏡的ミクロの博物学に沈潜していったと書かれている.当時のパノラマ/ジオラマ観とからめた論議も展開される(p. 205).生き物の蒐集に関して,こんなくだりがある:
- 「しかし,なぜ集めなければならないのか.集めること−−それは個々の自然物を環境やコンテクストから引き離し,それらを蓄積し,称賛することである−−は,そもそも人間に生まれながら備わっている衝動ではない.それはある時代と文化特有の営みである.集めるということが重要だと考えるには,以下の前提に同意してからでないといけない.まず,対象を目で丹念に吟味すること−−これこそ美を発見する手段である−−が価値ある行為であること.そして,自然の中の新奇さには価値が潜むということ.コレクターたちは,新奇さの範囲をさらに押し広げることにとりつかれている.基本タイプだけでは,じゅうぶんでないのだ.・・・ 多様性,新奇さ,そして形態の複雑さこそ,コレクターが追い求めてやまぬものなのである.」[p. 179]
蒐集慾ってもとはとっても「生得的」だと思うけど,後半部分は納得できる.よくわかる,その通りって感じ.
随所に印象に残る記述あり.その都度,marginaliaに書き込んでいく.博物学のスタイル(文体と様式)が文学と美術にじわりじわりと影響を及ぼしていく過程を再現し,文芸と芸術が滑らかにつながっていたヴィクトリア時代の雰囲気がよく描き出されていると感じた.アクアリウムの創始者であるP. H. ゴスは本書後半部の主役級だが,最近になってやっとまとまった伝記が出た:Ann Thwaite『Glimpses of the Wonderful: The Life of Philip Henry Gosse』(2002年刊行,Faber and Faber,isbn:0571193285).タイトルはゴス自身の著作からとったもの.そういえば,メリルの本のタイトルもゴスの本からの借用.19世紀の経験なクリスチャンにして,頑強な反ダーウィニストだったゴスは,文学的博物学あるいはネイチャー・ライティングの世界では現在にいたるまで著名人であり続けたということか.
細かいことだが,第1章の中で,19世紀のイギリス全土に張り巡らされつつあった鉄道網の利用客によって習慣化しつつあった“車中読書”が博物学書の普及に大きく貢献したと書かれている:
- 「19世紀中葉には,多くの本はとくに「列車の中,あるいは海辺で読む」ことを目的として生産された.旅行客の癒されることのない読書欲は,小説のみならず,旅行記や博物学書の人気を高め,そしてその多くが大ベストセラーとなる.」[p. 24]
“車中読書”の習慣が読書という行為にもたらした影響はちょうど同時代の日本でも見られた.長嶺重敏のユニークな本『〈読書国民〉の誕生:明治30年代の活字メディアと読書文化』(2004年3月30日刊行,日本エディタースクール出版部,isbn:4888883408)が当時の状況を活写している.洋の東西に共通する読者文化あるいは読書習慣のパラレルな変遷は別の意味で興味深い.
著者は,本書全体を総括して,こう言う:「多くのヴィクトリア朝のひとびとを虜にした博物学は,個人的かつ喚情的な美的科学,つまり自然物をテクストに変成する科学であった[p.398]」.モノに執着しそれを蒐集しようとする欲望と自然物を微に入り細に入り調べ尽くそうとする欲望−−当時のイギリスの中で社会階層を問わず浸透したこれらの“オブセッション”の真相と深層を明らかにした本書は,ナチュラル・ヒストリーの置かれた文脈を知る上でたいへん有用な情報源だ.
ただし,当時の博物学の文学的・美学的側面を強調するあまり,体系学や進化学の母体として博物学がもっていた「サイエンス」としての側面を著者はやや軽視しているきらいがあるとぼくは感じた.ある特定の社会や文化のもとで開花したナチュラル・ヒストリー運動は,必ずしもその状況のみで開花したわけでは必ずしもなく,条件がそろえばいろいろな場で発現し得たかもしれないことは,たとえば西村三郎『文明の中の博物学:西欧と日本(上・下)』(1999年08月31日,紀伊國屋書店,isbn:4314008504 / isbn:4314008512)が詳細に論じた論点だ.人間がもともともっていたジェネラルな分類学的衝動(“オブセッション”とは本来そういうものだろう)の個別的な現われのひとつとして,ヴィクトリア朝のナチュラル・ヒストリー運動を理解することができるのではないか.その意味では,本書の基本的な視線の当て方には疑問がある.また,冒頭のカラー図版数葉を除いては,全編を通じて挿絵はまったくなく,「博物学」とか「ロマンス」という言葉に惹かれて本書を手にした一般読者は失望するかもしれない.明らかに本書は博物学史の研究書であり,一般向けに書かれた本ではない.
三中信宏(30/January/2005)