『博物学の黄金時代』

リン・バーバー[高山宏訳]

(1995年10月30日刊行,国書刊行会[叢書〈異貌の 19世紀〉],431+21+xiv pp.,ISBN:4336034931目次

第6章まで読了.

当時の「狂い」(p. 90)たちをめぐるエピソードがおもしろい.とくに,当時大流行した「五点法(quinarianism)」をめぐるごたごたと,その学説が当時の博物学者の業界にもたらした余波の大きさは特筆されるべきだろう.「五点法」を提唱した William Sharp MacLeay とそれを普及させた William Swainson は,結果としてそれぞれキューバニュージーランドに“国外退去”し,ラッパの吹き手は19世紀半ばを待たずに舞台の袖に引っ込んでしまった.しかし,その萎縮効果は絶大で,以後の分類学者たちは生物に関する「一般化理論」そのものを忌避するように刷り込まれてしまったと著者は指摘する:


それにしても,この五点法とそれが原因となった騒ぎの記憶の方は消えずに,その後長期間にわたって野心的な理論家一統に対する「怖ろしき戒め」ともなり,十九世紀初めに博物学の進展を阻害した一般化理論忌避の風潮を,さらに強めさせてしまうようになる.(p. 92)

とにかく何にしろ一般化理論と聞くだけで人々が急にぴりぴりとし始め,科学界に陶片追放の噂が走ったという時代だったのである.結局,ラマルクからスウェインソンまで,先行した理論家たちはすべてこの苦汁を舐めたわけだし,ほとんどの博物学者が総合志向の理論よりひたすら細部[ディテール]を即こうとしていたのを責めることはできないのである.彼らが特に安んじていそしめたのが種の記載作業である.立派な仕事だし,第一,誰かが必ずやらなければならなかった.こうして多くの博物学者が嬉々として生涯を,この安心立命の単純労働に費やしていくことになる.(p. 93)

洋の東西を問わず,体系家(systematist)には災い多く(リンネだけは例外),分類家(taxonomist)には幸多かれということだったのかもしれない.そして,19世紀初頭のイギリスで大流行した「博物学」の背後には自然神学(素朴な intelligent design 説)の確固たる文化的底流があったという指摘(p. 116)はとても重要だろう.