ポーラ・フィンドレン[伊藤博明・石井朗訳]
(2005年11月15日刊行,ありな書房,東京,782 pp., ISBN:4756605885→目次)
【書評(まとめて)】
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博物館史および博物学史の新刊で,800ページ近くもあるレンガのように重い本だ.原書は10年以上前のものだが,David Freedbergの『The Eye of the Lynx : Galileo, His Friends, and the Beginnings of Modern Natural History』(2002年刊行,The University of Chicago Press,ISBN:0226261476 [hardcover] / ISBN:0226261484 [paperback] →目次・感想)とともに,この分野では重要な文献だと思う.
プロローグ(pp. 11-25)では,本書全体の3部構成について概観するとともに,「自然を蒐集する」という行為が16〜17世紀のイタリアでどのような“社会的意味”をもち得たのか,という全体を貫く中核テーマが提示される.
自然を占有するということは,科学的に価値ある対象を蒐集するという,より大きな喜びの一部であった.一六世紀と一七世紀のあいだに,最初の科学ミュージアム —— 技術と民族学的珍品奇物と自然の驚異の貯蔵庫 —— が出現した.その出現は,全ヨーロッパが蒐集に熱を上げていた時代と重なる.[……]蒐集というより広い基盤において,自然を占有することは中でも抜きんでた存在というイメージを帯びていた.芸術,古物,珍奇なものと並んで,自然は占有してみたいオブジェとみなされた.(pp. 12-13)
このように,博物学的精神に鼓舞された自然物の蒐集は,当時のイタリアにあっては,格好の好奇心の対象となっていたわけだが,それらの蒐集物を貯蔵し展示する「ミュージアム」は特別な意味を持っていたと著者は指摘する.
博物学は,ベーコンが主張しているように,人類の利益と改善のために世界の知識を記録しようとする探求の形式であった.ヨーロッパ人が頻繁に遠くまで旅行するようになると,この知識も拡大し,予期しない新たな結果を生みだした.蒐集は,自然界の統御をいくらかでも維持し,それに対処する方法であった.世界の知識は,基本となる正典テキストの内容を越えるものであったとしても,それをミュージアムに展示することは可能であったはずである.(p. 16)
続く第1部〈ミュージアムの位置づけ〉(pp. 27-213)では,本書全体を通じて繰り返し登場することになるふたりの主役 —— ウリッセ・アルドロヴァンディとアタナシウス・キルヒャー —— の博物学と彼らがつくったミュージアム(の祖型)を描写する.第1章「閉ざされた小部屋の中の驚異の世界」では.もともとの起源を「驚異の部屋」にもつミュージアムが,当時の社会の中で,それを支える基盤がつくられつつあったことが論じられる:
蒐集とは,一六世紀と一七世紀の有徳文化人【ヴィルトゥオーソ】たちにとって,単なる娯楽の実践だったのではなく,知識を力へと変容させる正確なメカニズムでもあった.(p. 42)
蒐集された物品を保管し文化人たちに展示するのがミュージアムのもともとの機能だったわけだが,単にモノを蓄積するだけではなく,ある基準のもとにそれらをうまく体系化してはじめて博物学者の本領発揮となる.蒐集された知識が〈力〉をもち得るのは,経験に基づいて知識が体系化されたときだった.形ができはじめた当時のミュージアムで,蒐集品の「カタログ」が早くもつくられはじめた経緯に著者は着目する:
カタログは,コレクションが生み出したもっとも重要な所産である.所蔵目録(inventario)が明らかに中世から存在していたのに対し,カタログ(catalogo)は初期近代の発明である.目録は,ミュージアムの内容を記録する.目録は対象に分析的な意味を与えることなく,その一覧を作成することによって,ミュージアムの現実を量として示す.これに対してカタログは,解釈しようとする.一六世紀後半にカタログが出現したことは,ルネサンスの蒐集家たちの実践がいかに新しいものだったかを示唆している.(p. 60)
知識の体系化への趨勢は,同時代的に生じたもうひとつの動きと連動する.それは,博物学が医学や薬学のような実益的な学問に直結していたのだが,しだいに純粋な「蒐集慾」の発露が主眼となっていったという変化である:
このように,医薬の情報が周縁に追いやられ,古代の壷,エジプトの偶像,そして自然のパラドックスが優勢を占めるようになったことは,一六世紀と一七世紀のあいだに起こった自然を蒐集することのステータスの変化について,ある事実を物語っている.つまり蒐集は,当初「自然の利用」に関心を抱いていたアルドロヴァンディ,カルツォラーリ,インペラートら博物学者たちの一活動であったが,一世紀も経たないうちに,貴族や宮廷人たちを楽しませる余暇の娯楽となったということである.実用的な実践として好奇心を称えるよりもむしろ,一七世紀の蒐集家たちは,好奇心をそれだけで人の美徳とみなした.(pp. 68-69)
著者はこのような時代背景を踏まえ,第2章「パラダイムの探求」において,ミュージアムの社会的形成に目を向ける.旧来的な「自然=テクスト」という観念が共有されていた時代に,後の啓蒙主義の思想がどのように浸透していったのかは当時のミュージアムの変遷に反映されていると著者は考えている.イタリアで発生した“ミュージアム”なるものは,きわめて内密な私的空間(「ムーサの部屋」)から次第に外部に開放された展示空間(「博物学劇場」)へと行きつ戻りつしながら変貌していった.その経緯は実に印象的だ.
第3章「知識の場」はまさにこのミュージアムの変遷をあとづけている.系譜としてのミュージアムの最初の姿はつぎのようなものだった:
書斎は瞑想の空間であった.寝室と個人礼拝堂のあいだに位置する書斎は,住居の奥まったところにあった.暗く,しばしば窓のない,ただテーブルや机や椅子,そして書物を並べた壁龕【ニッチ】や書物を収めた櫃【ひつ】だけが変化を与えている視覚的な単調さ,すなわち,最初期のミュージアム(「ムーサたちの神殿」という本来の意味において)は,われわれがのちにミュージアムに結びつけるようになる社会性の表徴を欠いた空間だった.(p. 148)
このような“私的”な空間としてのミュージアムが,現在見られるような“公的”な空間としてのミュージアムへとどのように変遷していったのかが第1部のハイライトとなる.一気に移行したわけではない.両者の中間段階に相当するものがこの時代に出現したことを著者は読者に示す:
蒐集の空間は,住居の中で公的であると同時に私的な男性の空間であり,それゆえもっとも重要な意味において嗜みある空間だった.「館の中の世界」(orbis in domo)としてのミュージアムは,文字どおり世界を自邸の中にもちこもうとする試みによって,公的なものと私的なものとを仲介した.(pp. 163-164)
興味深いのは,この移行がなだらかに進んだわけではけっしてなく,ミュージアムという「知識の場を定義する,多様な競合しあうモデル」(p. 208)が同時的・同所的に共存し,その時々によって異なる顔つきを見せていたという点だ.公的な劇場としてのミュージアムの性格が確定するまでには紆余曲折があった.
第2部〈自然の実験室〉に入る.第4章「科学の巡礼」では,「自然」という“本”をテキストとして読むにとどまらず,採集旅行によって蒐集された多くの事物を踏まえて,“実験”という行為を通して検証するという,17世紀のイタリアに現われた態度がどのようにミュージアムの中で育まれていったのかを考察する.自然を読み解くべき「本」とみなすというギリシャ時代から連綿と続く知的伝統が,この時代になってさまざまな揺さぶられ方を経験し,その結果として新しい知的伝統が胚胎する過程が次の章で論じられる.
第5章「経験/実験の遂行」では,当時のイタリアに出現した〈リンチェイ〉あるいは〈チメント〉の看板を掲げた有名な科学者集団の動向が詳しく触れられている(上記 Freedman の本の主題でもある).観察や実験をことのほか重視した彼らと歩調をそろえるように,実験科学としてのデッラ・ポルタの“自然魔術”が登場する.魔術師(マグス)とか錬金術師(アルケミスト)たちの話だ.このテーマに関しては,山本義隆の『磁力と重力の発見(全3巻)』(2003年5月22日刊行,みすず書房,ISBN:4622080311 / ISBN:462208032X / ISBN:4622080338→目次・書評)が必読書だろう.
アカデミア・デイ・リンチェイの創始者チェージは,「実験志向」という点で共感を覚えていたデッラ・ポルタとの交際をしだいにひかえるようになったという(p. 351).それは,博物学がしだいに自然科学的な思考法を確立するようになり,それとともに自然魔術が帯びていた人文科学的色合いに違和感を感じるようになったからだという.イタリアだけでなく,イングランドの王立協会でも同じで,事務局長オルデンバーグはアタナシウス・キルヒャーの主張がついに追試できなかったと報告した(p. 366).ほかにも,アルドロヴァンディの石綿実験とか,化石をめぐるニコラウス・ステノの業績など,さまざまなエピソードが登場する章だ.
第6章「医学のミュージアム」は博物学と医学との“身分関係”に関わる微妙な問題をあぶり出した.博物学的教養が当時の医学教育にとって必須の薬物(materia medica)に関する“知識基盤”であるとみなされたことにより,博物学者たちは「社会制度的」に認知されるようになったという:
マテリア・メディカが制度的な認可を受けたことで,博物学者たちは蒐集活動の範囲を,非公式の個人的な博物室や薬草園から学問としての公式な空間へと拡張する機会を得たのである.制度的な承認は,やがて医学のカリキュラムにおける博物学の成功を示す中心的な存在となる植物園のための資金を拠出することによって,ルネサンス期の博物学者たちがすでに実践していた活動にさらなる推進力を与えることになったのである.(pp. 391-392)
では,このような社会的認知は博物学者にとってハッピーなことだったのかという疑問に対して,著者は興味深い指摘をする:
[……]博物学者たちは成功の両義的な意味と折り合いをつけなければならなかった.新たな学問の制度的認定は体制への恭順を意味した.そして医学のカリキュラムの規範は,経験的な学問を,学術的ヒエラルキーの中でも最下層に位置させたのである.(p. 400)
博物学者が,“自然哲学”というさらなる上着を求めた背景には,このようなジレンマがあったからだと指摘されている.とても意味深な指摘かもしれない.
最後の第3部〈交換の経済学〉は,博物学者や蒐集家が当時のイタリア社会の中でどのようなステイタスを占めていたか,そしてその社会的アイデンティティを維持するために彼らがどれほど努力したかを分析している.第7章「蒐集家の発明/創出」では,ミュージアムを営む彼らコレクターたちにとっては,モノを集めることそれ自体が彼らのアイデンティティの根幹だったということが指摘される.
第8章「学芸庇護者,宮廷仲介者,そして戦略」とエピローグ「古いものと新しいもの」は,本書が主たる舞台として設定している16〜17世紀のイタリアにおけるミュージアム主宰者(“クライアント”)がどのようにして当時の宮廷文化人(“パトロン”)の関心を惹き,さらにそこに介在した仲介者(“ブローカー”)との間で錯綜した社会的関係を形成するにいたったかを詳細に論じている.本書の中でもとりわけ興味深い章だ.蒐集家や博物学者が当時の社会の中での自らのアイデンティティを確立するための努力は実に涙ぐましいものがあった:
博物学者たちは,著作を刊行し,ミュージアムを寄贈することによって,時のもたらす破壊から身を守ろうと企てたのである.蒐集家も学芸庇護者【パトロン】も,社会の最前線に立とうと努力しているにもかかわらず,やがては忘却の淵に沈み,そして最終的には,この社会の,才能にも地位にも恵まれなかった者たちと同じ運命を分かちあうことになるのではないかという恐怖を抱いていた.蒐集家たちは,政治的制度としての宮廷が徐々にその権力を増大させることによって育んできた,競合する文化交換システムに身を投じつつ,自らの社会的地位を上昇させるための手段として,ミュージアムと博物学という学問分野の価値を高めたのである.(p. 534)
しかし,彼らの努力も,その後に続く18世紀の啓蒙主義思想の擡頭とともに無に帰したと著者はエピローグで指摘する:
一六八〇年にキルヒャーが没して一世紀も経たないうちに,新しい世代の学者たちが,自然の百科全書という人文主義的な前提もろとも,この知識を包摂していたミュージアムを無効にしたのである.(p. 607)
さらに重要なことは,この歴史の転換点において,博物学史の「歴史認識」が変わったことだという主張に注目しよう:
啓蒙主義の哲学者たちは,先行者たちに好意的ではなかった.自然を理解しようとする先の世代の努力を,自己正当化した優越感からくる謙遜の感覚で回顧しながら,一八世紀の博物学者たちは,その学問の正史を書き換えてしまったのである.彼らにとって博物学という科学は,一八世紀になるまで存在しておらず,そのときかつての珍品奇物のキャビネットは,高度にベーコン主義的目的をもち,分類法と分類学についての議論に基づいて組織された博物学のミュージアムにとってかわられたのである.(pp. 609-609)
単に“事物を蒐集する”というだけではなく,“体系学的方法論”への関心の高まりが,同じ「ミュージアム」という言葉によって指されているものの内実(外装か?)をすっかり別物にしてしまったという点は,ミュージアム史の歴史がけっして一筋縄ではくくれないという本書全体のテーマにもつながる総括的メッセージだ.
—— 本書全体を通じて,主役を演じるのはウリッセ・アルドロヴァンディやアタナシウス・キルヒャーという“怪人”たちである.おびただしい数の怪しげな図版が載っていて,ぼくにはとても楽しい本だったが,準備体操をしていない読者にはつらいものがあるかもしれない(もちろん,それなりの覚悟がなければ本書を手にすることはもともとないだろうが).
本書の末尾には,原註と引用文献が120ページも続くが,この薮こぎは相当つらいかもしれない.訳者(伊藤博明)による「解説:『自然の占有』の位置づけ」は,科学史叙述の立場の違い(internalist / externalist)と絡めつつ,本書の意義を論じていて鳥瞰するのに役に立つ(わざわざ“strong programme”に言及する必要はなかったと思うけど).
現代的な意味での「ミュージアム論」は多々あるのだが,本書のように史的な発生と当時のイタリア社会での文化的環境との細密な関わりを明らかにした本に出会ったことはこれまでほとんどなかった.ミュージアムがそもそもどのような社会的文脈のもとで成立したのか,コレクションを蒐集するとはいったいいかなる行為なのか,について考えてみるときに,本書はきっと参考になる.価格的には個人がけっして気軽に買える本ではないが,少なくとも博物館・図書館・大学・研究機関などに備えておく価値のある本だろう.
ごく少数の校正ミスを除いては,全体として訳文はとても読みやすい.原書と比較すると,脚註と文献はきちんと訳されているが,残念なことに事項索引が省略されており(人名・書名・作品名索引はある),この点は訳書として減点されるべきだ.原書のペーパーバック版の2.5倍もの代金をとっているのだから(?),翻訳に際しての情報損失はミニマムにしてほしい.
三中信宏(17/December/2005)