『新種発見に挑んだ冒険者たち:地球生命の驚異に魅せられた博物学の時代』

リチャード・コニフ[長野敬・赤松眞紀訳]

(2012年2月7日刊行,青土社,東京,479+55 pp., 本体価格3,600 円,ISBN:9784791766369目次版元ページ

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博物学者列伝:偏愛と狂気と冒険への渇望



本書は西洋のナチュラル・ヒストリー(博物学)の歴史を彩ってきたさまざまな人物たちのエピソード集である.博物学がたどってきた長い道のりを振り返れば,後世に名を遺した著名な人物,たとえば分類学の祖である北欧のリンネ(リンネウス)をはじめ,フランスではコンテ・ド・ビュフォンやジョルジュ・キュヴィエのような大博物学者,あるいは進化学を確立したイギリスのチャールズ・ダーウィンやアルフレッド・ウォレスの名前がまず挙げられるだろう.過去から現在にいたるまで,博物学は国境や文化を越えて共有されてきた原初的な蒐集慾のパッションがとめどなく発揮された営みだった.本書に登場する「種を追い求める人々(species seekers)」たちの生涯と業績をふりかえるとき,時間と空間を超えてそのパッションに包み込まれる気がする.



しかし,本書の本領が発揮されるのは,数々の栄誉を享受してきたビッグネームたちではなく,むしろ博物学史の片隅に追いやられ,今ではその名すら忘れられている多くの人物たちの生前の業績である.ほかの誰も見たことがない新しい生物種を探し求めて人跡未踏の地にまで足を運んだ彼ら「種を追い求める人々」のふるまいは,ときには常識を逸脱する文字通り命がけの冒険でさえあった.新種を求めるなかであえなく落命した博物学者たちの名は本書の巻末に「物故者名簿」としてまとめられているが,まったく知らない人名ばかりであることに驚かされる.博物学の裾野の広がりと歴史の深みは想像を越えている.



戦場の肉弾戦のさなかに昆虫採集を続けた軍人デジャン大佐,人間の死体を盗んでまで解剖しようとした外科医ジョン・ハンター,豊富な財力をもってコレクションづくりに捧げたウォルター・ロスチャイルドなど,本書には古今東西博物学者たちの破天荒な生涯がひとつひとつ描かれている.それらを読み進むと,動植物や鉱物などの自然物を徹底的かつ網羅的に蒐集しようとする飽くことなき欲望,そのようにして集めたコレクションを微に入り細に入り調べ尽くそうとする執着,彼らが属していた社会階層や貧富の差とは無縁だったことがわかる.あまねく共通していたのは家族や知人をもふり切り,場合によっては自らの命すら顧みない蛮勇ともいえる“オブセッション(偏愛)”の強さである.



18世紀以降の博物学において,生物の多様性を比較したりその進化を説明しようとした比較解剖学や生物進化学のような学説がどのように生まれ発展してきたは確かに科学史的な研究テーマとしては興味深いにちがいない.しかし,本書がターゲットにしているのは,そのような“高尚”な学説論議ではなく,もっと生々しい現実の自然あるいは社会の中で蠢く博物学の姿である.たとえば,南米や東南アジアで長年にわたって自然を相手にしてきたウォレスは,標本商という当時としては必ずしも社会的地位が高くない生業を続けつつ,母国イングランドのアームチェア博物学者たちとは一線を画しつつ,自らの進化論を育んだ.本書にはそのような逸話が随所に詰め込まれている.



本書に登場するのは主として18世紀以降の博物学者たちである.個々の博物学者の武勇伝が読み物として楽しめるのはジャーナリストとしての著者の力量だろう.同時に,それらのエピソードの背後にあって,西洋博物学を支えてきた思想的基盤や社会的背景あるいは宗教的情熱も随所に記されている.一見,型破りに見える博物学者たちの信じられない行状は,思潮あるいは文化としての博物学が西洋社会にいかに広まっていたかを逆照射する.



このような「草の根」的な博物学がはたして科学だったのかという問いは愚問かもしれない.博物学が興隆した初期においてはそもそも科学なるものはまだ独り立ちしてはいなかったからである.むしろ,本書に描かれているようなかつての博物学は,蒐集に対する人間としての原初的誘惑に突き動かされつつ,神学的・倫理的あるいは美的な基準に沿って「自然を読む」という行為だったのだろう.科学の前段階としての博物学がその後19世紀以降の科学としての分類学や系統学にどのように継承されていったのだろうか.



ダーウィンの盟友であるトマス・ヘンリー・ハクスリーは,男女同権論の立場から,「最も弱く最も愚かな男性に開かれたキャリアが,どのような司法や公共政策の理由で,活力と能力のある女性に対して強制的に閉ざされているのか,私は理解できずに困っている」(p. 421)と苦言を呈した.実際,19世紀の女性博物学者たちはそのような苦境の中にあったのだ.もちろん,博物学史に輝く有名人も,歴史の影で忘れ去られた無名人も,「種を追い求める」という点では何一つちがいはなかっただろう.“新種”を発見する至福の一瞬を味わえるだけで,家柄や性別や地位や財力など現世的な苦悩は雲散霧消したのかもしれない.たとえそれがその一瞬の後にはきびしい現実に引き戻されることになったとしても.



原書にある詳細な総合索引が人名索引のみに簡略化されたのはいささか残念だが,おびただしい数の種名・人名・地名が次々に登場する大部の本書を翻訳する作業は容易ではなかっただろう.再考を要する翻訳箇所は散見されるものの,類書とは異なる方向から博物学史を叙述した本書は現在の生物多様性の研究分野のルーツを考える上でたいへん興味深い.



三中信宏(2012年2月14日/2012年3月28日改訂/2012年4月22日再改訂)



追記]本書評原稿の短縮改訂版は日経サイエンス2012年4月号, p. 108 に掲載された.なお,原書は:Richard Conniff『The Species Seekers: Heroes, Fools, and the Mad Pursuit of Life on Earth』(2011年刊行,W. W. Norton, New York, xii+464 pp.,ISBN:9780393068542 [hbk] / ISBN:9780393341324 [pbk]).