平野真敏
(2013年1月22日刊行,集英社[集英社新書0674N],東京,189 pp., ISBN:9784087206746 → 版元ページ|著者サイト)
読了.19世紀後半にドイツで開発されたある弦楽器ヴィオラ・アルタの由来と復活.楽器の変異と淘汰のプロセスは厳しいな.しかも,証拠がほとんど残らないというのが,その系統推定にとっては難物かも.本書では,著者の自分史と重ねあわせながら,この幻のヴィオラ・アルタの過去をさかのぼっていく.
この失われた楽器ははたしてどのような「音」を奏でたのか.本書の最後で,その手がかりを求めて著者は南ドイツのパッサウに向かい,聖シュテファン大聖堂のパイプオルガンに残されていた “ストップ” が絶滅したヴィオラ・アルタの「音」を記憶していたことを見出す.
アレクサンダー・フォン・フンボルト『新大陸赤道地方紀行(下)』(2003年9月26日刊行,岩波書店[17・18世紀大旅行記叢書【第II期】],東京,ISBN:4000088513)にはこう書かれている:
「グアイベ・インディオたちの間で流布している口承では,好戦的なアトゥレ族がカリブ族に追撃されて,大急流地帯の中央にそそり立つ岩山に逃れたという.かつては大人数であったこの民族は,彼らの言語と共に,そこで次第に滅亡していった.一七六七年,ジッリ宣教師の時代には,まだアトゥレ族最後の数家族が残存した.私たちが探査したときにはマイプレスで見せられた年老いたオウムは,「アトゥレ族の言葉を話すから,何をいっているのかわからない」と住民が説明していた.」(第8部第24章,p. 67)
チャールズ・ダーウィンはフンボルトのこの逸話を受けて,『人間の進化と性淘汰I』(1995年9月15日刊行,文一総合出版,ISBN:4829901217)の章「人種の絶滅について」の中で,「フンボルトは南アメリカで,絶滅した部族の言語を話すことができるのは1羽のオウムだけだったのを見た」(p. 201)と記している.失われた楽器ヴィオラ・アルタの「音」を覚えていたパイプオルガンの “ストップ” はまさに〈フンボルトの鸚鵡〉の再来だ.
なお,ヴィオラ・アルタの開発者ヘルマン・リッターの著書はすでに Internet Archive でオンライン公開されている: Hermann Ritter『Die Geschichte der Viola Alta und die Grundsätze ihres Baues』(1877年刊行,J.J. Weber, Leipzig → Internet Archive).第4章「ヴィオラ・アルタの謎を解く」の冒頭で書かれているように,ヘルマン・リッターのこの本はかつては入手がきわめて困難な稀覯書だったようだ.
本書『幻の楽器ヴィオラ・アルタ物語』は,コンバクトな新書でありながら,ある楽器がたどった歴史をさかのぼる旅行記としてとてもおもしろい読み物だった.参考文献リストがついていれば言うことなし.