中山剛・山口晴代
(2018年10月20日刊行,文一総合出版,東京, 144 pp., 本体価格1,800円, ISBN:9784829981542 → 版元ページ)
生物科学, 70(2): 127(2019.2)掲載.目次.
昨年編集部に送った書評原稿は以下の通り.何箇所か手直しされたバージョンが印刷に回された:
現代版ミクログラフィア:顕微鏡を通してみる驚きの藻類ワールド
三中信宏(農業・食品産業技術総合研究機構)
文一総合出版の定評ある「ハンドブック」シリーズはこれまで数々の個性的な図鑑を出してきた.既刊の『酒米ハンドブック』や『虫こぶハンドブック』や『樹皮ハンドブック』などは,他には見られないユニークな視点だけでなく,そのコンパクトなサイズのおかげでフィールドや街ナカで気軽に持ち歩ける携帯性を兼ね備えている.このシリーズに淡水プランクトンに着目した新たな一冊が付け加わった.
図鑑のもつ魅力は著者の目のつけどころによるところが大きい.ふだんの生活の中でつい見落とされがちな生物や自然物や人工物は,「ほら,そこに」と指し示されて初めて気づくことが多い.肉眼で見えるサイズのものですらえてして気づかない.ましてや,顕微鏡を通してしか見ることができない微細な生物たちは,それを専門の研究テーマとするごくかぎられた研究者しかじかに見る機会はないだろう.
しかし,17世紀の博物学者ロバート・フックが自作の顕微鏡を通して世界で初めて微細な生物の構造を観察し,『ミクログラフィア(顕微鏡図譜)』として世に出して以来,ミクロな生物の世界が実は大いなる驚異に満ちていることが広く知られるようになってきた.19世紀の進化学者エルンスト・ヘッケルもまた,彼が専門とする海産微細生物の放散虫の観察を通して,その類まれな画才によって『自然の芸術的形態』や『放散虫類』など多くの彩色図譜やモノグラフを出版し,ミクロな生物界の多様性を世間に周知した.
今回出版された『プランクトンハンドブック淡水編』の主役は千分の一ミリメートル(mm)すなわちマイクロメートル(μm)というスケールでしか測れない微細藻類である.直径が数μmの単細胞藻類クロレラに比べれば,数百μmもあるゾウリムシは十分に “巨大” だし,1mmを超えるミジンコに至っては “超巨大” としか言いようがない.ミクロな生物界の魅力を十分に読者に伝える好著といえよう.
サイズだけではない.このハンドブックを手にしたときのもうひとつの驚きは微細藻類たちのもつ掛け値なしの豊穣さである.著者の熟練した顕微撮影技術を駆使して撮影された美麗なカラー写真の数々は,肉眼ではけっして見ることができないこれらの微生物たちが形態的そして生態的にきわめて多様であることを読者に強く印象づける.丸かったり,星型だったり,鞭毛や繊毛があったり,群体をつくったりと,どのページもまったく飽きることなく最後まで読み進めることができた.このようなミクロワールドを日々目撃できる著者はうらやましい限りである.
本書が楽しめるもう一つのポイントは,あちこちに顔を出す「藻類ゆるキャラ」である.かつての〈もやしもん〉みたいな「みんな殺すぞ!」的兇悪キャラはどうやらいないようだが,藍藻のミクロキスティス属(ときどき大発生する “アオコ” の正体)は強い毒を出すので十分にワルモノだと思うけど.
今年百歳を迎えた画家・堀文子の作品のひとつに〈極微の世界に生きるものたち〉という2002年に発表された顕微鏡下の微生物絵画がある.探検画家として世界中の自然を題材に絵を書き続けた堀は,大病を患ってからは一転してミクロな世界に関心を移し,顕微鏡下に広がる微細な生物たちを描くようになった.〈極微の世界に生きるものたち〉にはミジンコを中心とするさまざまな藻類や珪藻類が描かれている.本書を手に,それらをひとつひとつ同定するのもまた一興にちがいない.
[2018年11月26日寄稿]
なお,上記文中で言及した日本画家・堀文子はつい先日の2019年2月5日に逝去した.