『科学を語るとはどういうことか:科学者、哲学者にモノ申す』[続]

須藤靖・伊勢田哲治

(2013年6月30日刊行,河出書房新社[河出ブックス・057],東京,301 pp., 本体価格1,500円,ISBN:978-4-309-62457-0目次版元ページ

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科学と科学哲学との重層的すれちがい(続)



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本書を読んでひとつ自覚したのは,科学者側の “代表” として登場する物理学者・須藤靖さんの発言のひとつひとつにワタクシ自身があまり同感できないという点だった.とりわけ,[科学]哲学的な問題設定に対する彼の基本姿勢には相当な違和感が残る.ワタクシの身近にもしこういう科学者がいたとしたら “いますぐ体育館のウラに来い” 的レベルの違和感だ.ワタクシが推測するに,伊勢田哲治さんとの「対話」を盛り上げて読者に印象づけるための “演技” も多少は混じっているのだろう.



しかし,よくよく考えてみれば,どっちも「あり」なのかもしれない.須藤さんの専門分野である物理学とワタクシが生きてきた場である生物体系学は “たがいに相異なるタイプのサイエンス” であることに思い至れば,両者の違いはそのまま呑み込むしかないだろう.本書が目指してる科学と科学哲学との「対話」の難しさは,科学哲学に多様性がある以上に,科学の側にはそれを上回る多様性があるというシンプルな現実である.「科学とは何か」という設問が意味を持たなくなる前に,「科学」という総称それ自体がすでに意味をもたなくなっている.



前世紀のカール・ヘンペルやカール・ポパーが生きていた時代ならば,科学哲学 vs. 科学の「対話」の構図はもっとわかりやすかったかもしれない.現代よりももっとグローバルだった科学哲学が同じくかつてはグローバルな “典型科学” だった物理学ひとりを相手として対談すればすむことだからだ.しかし,科学哲学がしだいにローカライズされ,個別のローカルな科学の中に入る(あるいは傍らにいる)ようになると,両者の「対話」もまたローカライズされざるを得ない.科学哲学が対面して言葉を交わす相手が「どの科学」かによって,その対話の中身も変わってくるだろうからだ.



どんな個別科学であっても,掘り下げればどこかで哲学的な問題が潜んでいるだろう.しかし,生物体系学の場合は研究の “日常生活” の場でさまざまな哲学的問題に直面するという点で特異的かもしれない.たとえば,種(species)や高次分類群の実在性に関する形而上学的問題,生物進化の因果過程の推論とその復元をめぐる認識論的問題,さらには進化史という歴史はそもそも科学の対象でありえるのかという歴史哲学的問題など,生物体系学を日々生きていく道を塞いだり路傍に転がる数々のテツガク的問題は “日常の風景” と化している.この点で,生物体系学は物理学や他の科学とは異なる性格をもっているにちがいない.



ローカルな生物体系学に関わるこのような哲学的諸問題を解決するために,ローカルな生物学哲学は確立されてきた.1960年代を振り返ると,生物分類学における本質主義(essentialism)論争をめぐる David Hull の論考(British Journal for the Philosophy of Science 誌)や当時の公理論的生物学に基づく分類階層論争(Systematic Zoology 誌)が目に付く.当時,このような問題に取り組んでいたのは Ernst Mayr や George G. Simpson ら進化的総合の構築者たちが中心で,彼らのまわりにのちに生物学哲学を推進する David Hull や Michael Ruse ら哲学畑で育った研究者たちが集まっていた.



1970年代に入ると『生物学哲学』と銘打った教科書がほぼ同時に出版され(Ruse 1973, Hull 1974, van der Steen 1974),グローバルな科学哲学からローカルな生物学哲学が自立するようになる.生物体系学(あるいは生物進化学)が日常的に抱える未解決の哲学的問題を生物学哲学が考察し,逆に生物学哲学での論議を生物体系学が研究の現場に持ち帰るという密接な「相利共生」が続いた.この相利共生は生物体系学と生物学哲学それぞれの分野にとってプラスの影響があった.



1970年代末から80年代にかけて,生物体系学ではカール・ポパー反証主義をめぐる論議が Systematic Zoolgy 誌を中心にして大きな分類学論争へと発展し,生物学哲学者たちは現場の生物体系学者と入り交じって論争に関わっていった.Elliott Sober ら第二世代の生物学哲学者が成長したのはこの時期だった.両分野の相利共生は1990年代までは続いたと思われる.



その後,第三世代以降の生物学哲学者は自らのコミュニティーを独立させ,生物体系学や生物進化学とのダイレクトな関わりあいは薄くなっていったようだ.たとえば,1970年代にポパーの科学論を標榜した分岐学者 Edward O. Wiley が1981年に出版した教科書『Phylogenetics』では,生物体系学をめぐる科学哲学の記述に多くのページが割かれていた.ところが,30年後の2011年に出された改訂版『Phylogenetics, Second Edition』では,それらの記述はまるごと外部の生物学哲学書に “アウトソーシング” されている.いまの両者の関係性を象徴するできごとである.



生物体系学(や生物進化学)が生物学哲学と “近距離” で相互に関わりあえたのは,ローカルな科学としての体系学が取り組んできたテーマがもともと哲学的だったからという特徴があったから.ローカルな科学哲学としての生物学哲学はそのような学問的土壌の上で成長してきた.両者の間に “すれちがい” が生じる理由はどこにもなかった.



三中信宏(2013年7月20日