井口壽乃・圀府寺司(編)
(2005年9月5日刊行,三元社,ISBN:4-88303-161-6)
1910〜20年代の歴史的資料の発掘と翻訳.百年前がぼわっとよみがえるようで,なかなか楽しい. かつての左翼系のスローガンがいっぱい.ふたつの世界大戦に挟まれた時代の〈バウハウス〉や〈MA〉などに代表される“芸術運動”の足跡をたどる.当時の“モダニズム”とか“アヴァンギャルド”については何も知らないに等しいので,こういう本を読むと即座に〈スポンジ化〉する自分がいる.ひとつひとつの翻訳資料に編者の解説が付けられているので背景を知る上でとても助かる.第1部〈各国のアヴァンギャルド・グループによるマニフェスト〉の第1章「ベルリン」,第2章「ワイマール」,そして第3章「ウィーン」を読了.
第1部の続き.第4章「プラハ/ブルノ」に登場するチェコ・アヴァンギャルド派のカレル・タイゲの「構成主義」的タイポグラフィーはおもしろいかも.第5章「ウーチ/ワルシャワ」と続く第6章「クラクフ」ではポーランドの動き.ここまではわからないながらも,そこそこについていけた.しかし,第7章「ザグレブ/ベオグラード/リュブリャーナ」のセルビア・クロアチア語圏になると,いきなり〈ゼニート主義〉なる得体の知れない思潮が登場し,スローガンと反スローガンのぶつけ合いが延々と続く.これっていったい何なの? ひいひい言いつつ,2段に組まれた本文を200ページまで読み進む.この第1部には,まだルーマニアとブルガリアの章が残っている.“中東欧”とひとくくりにするのはなかなか難しいのではと感じはじめた.
自己申告する“前衛” —— 全体を読了.第2部〈国家を越えた国際交流の場へ〉はひたすら「宣言」に次ぐ「宣言」の連呼.中東欧圏をひとくくりにできないほど,国によって“アヴァンギャルド運動”はさまざまであることを知る.読者が「迷子」にならないためには,このような幅広い流れの全体を総括する章があってもよかったのではないか.最低限,本書全体を通じてのキーワードである“アヴァンギャルド”とか“構成主義”ということばの解説があった方がよかった.それがないために,読者は各自がこの本の中に「手がかり」を求めなければならなかったので.
一カ所だけ,ステラ・トドロヴァ・ジブコヴァの「ブルガリアのアヴァンギャルド運動」というコラム(pp. 227-228)の一節がまさにこの総括の役を果たしていた:
そこで注目すべきは,人によってアヴァンギャルドについての理解がさまざまであるということであり,それは,固定された,一枚岩的な形式ではありえないその性質によっている.これらの運動のさまざまな動向にただひとつ一致しているのは,それはもっとも重要な特質であるが,古い芸術と呼ばれた当代に先立つ芸術を攻撃する点であろう.その攻撃にはまず理論が必要であり,アヴァンギャルド運動家あるいはモダニストとも呼ばれた作家たちは,雑誌において理論を展開しつつ,実際の作品を制作していくこととなった.(p. 227)
実に明快な「まとめ」だと思う.また,“構成主義”という概念に関しては,本家本元のオランダの主唱者テオ・ファン・ドゥースブルフがこう述べている(p. 251):
これまたシンプルな声明だと思う(是非は別として).当事者の「肉声」によって説明させるという編集方針ならば,それはそれでまちがいではないだろう.
編者の一人である井口壽乃さんの前著『ハンガリー・アヴァンギャルド :MAとモホイ=ナジ』(2000年12月刊行,彩流社,ISBN:4-88202-684-8)は,出た当時どうしようかと相当迷ったのだが,今にして思えば買っておけばよかったかな(もちろん今でも入手可能なのだけれど).もう一人の編者である圀府寺司さんといえば,ゴッホの書簡集の訳者でもありました:フィンセント・ファン・ゴッホ(二見史郎・圀府寺司訳)『ファン・ゴッホの手紙』(2001年11月22日刊行,みすず書房,ISBN:4-622-04426-9).