『生命40億年全史』

リチャード・フォーティ[渡辺政隆訳]

(2003年3月10日刊行,草思社,東京,494 pp.,本体価格2,400円,ISBN:4794211899目次

【書評】

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「全史」という本書のタイトルから「歴史年表」のような退屈な内容を想像した読者は,みごとに先入観を裏切られるだろう.40億年におよぶ地球上の生物の進化史を見渡したとき,人間の一生など泡沫にも満たない一瞬のかけらに過ぎない.その人間がなぜ進化を研究しようなどと思い至ったのか――本書の著者は古生物学者としての自らの経歴を振り返りつつ,生命のたどってきた歴史を描いている.
「原始スープ」の中で最初の生命体がその痕跡を残した始生代に始まり,単細胞から多細胞への体制の進化と多様化,エディアカラ動物相やバージェス動物相など奇天烈な見かけをもつ生物たちの系統関係,光合成植物の登場による海から陸への生物の進出,大陸移動と隕石落下など時代を彩るさまざまな地史的ページェント,恐竜たちの栄枯盛衰,続いて哺乳類の躍進とヒトの登場,そして偶然と必然のはざまに見えてくる将来の姿――さながら連続劇を見るように,この地球上で起こってきた進化の物語が次々と紡ぎだされる.
進化研究は,過去から現在まで数多くの論争が闘わされてきた学問分野である.科学の営みをどろどろとした感情のからみを抜きにして語るのはきっと偏っているだろう.化石収集にまつわるコレクターどうしの確執,分岐分類学をめぐる大英博物館の展示論議,そしてバージェス動物相の解釈をめぐる最近の大論争など,本書には数多くのエピソードが登場する.それらに対して著者の抱いた感慨はたいへん興味深い.
たとえば,1970年代に分岐学が侵略を開始した当時をふりかえった著者は,伝統的分類学者のいう「いまいましい分岐論者」との「感情的な対立」を傍で見つつ(p.238),分岐学への転向(「仏教徒になるのと同じくらいの覚悟」: p.245)をひとつのパラダイム転換とみなしている.カリスマ分岐学者の二人を頂点とするヒエラルキーを観察するある生物学哲学者,竹やりを持って挑みかかったあるトラブルメーカーなどなど,直近で事態の推移を目撃してきた著者ならではのレポートである.
バージェス動物相に関してグールドが展開した主張に対しても著者は疑念を呈する.グールドはカンブリア紀節足動物のもつ異質性(disparity)を強調し,分岐学に基づく系統推定は無効だろうと言った.しかし,著者は「既知の節足動物との共通点を探る方向で解釈」(p.146)するのが適切であると反論する.これらは分岐学者である著者ならば当然の反論だと私は思う.
語り口に臨場感があるのは,著者自身がそれらの進化の舞台に何度も足を運び,化石を手にしながらものを考えているからだろう.本書の魅力は,ひとりの古生物学者がたどってきた個人史を開いて見せている点にある.著者自身の,そして身近な研究者たちの多くの個人史が撚り合わさって,地球上の生命史が解明されてきたことが実感できる.確かに,本書は「伝記」にふさわしい読み物だ.
原書にはもっとたくさんの図版があったのだが,翻訳に際していくつかは採用されていない.訳文はいつもながら口当たりがよい.気のついた点は,p.347:「G・J・ヴァーメイジ」→「G・J・ヴァーメイ」だけ.
【原書】Richard Fortey (1997)『Life: An Unauthorised Biography』(1997年刊行,HarperCollinsPublishers,London,xvi+399 pp.,ISBN:000638420X [pbk])

三中信宏(2003年3月29日)