『From Taxonomy to Phylogenetics: Life and Work of Willi Hennig』

Michael Schmitt

(2013年4月刊行,Brill, Leiden, xvi+208 pp., ISBN:9789004219281 [hbk] → 目次版元ページ

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Willi Hennig が生きた時代をたどる



昨年2013年は Willi Hennig の生誕百年に当たる(Wheeler et al. 2013).1960〜70年代の体系学論争で戦い続けた三学派のうち進化分類学派を率いた Ernst Mayr と数量表形学派の領袖 Robert Sokal の伝記はすでに出版されている(Haffer 2007, Schomann 2008).残る分岐学派の創始者 Willi Hennig の伝記が本書である.読み始めてからずいぶん時間がかかってしまったが,週末の大菩薩峠修行の行き帰りで読了.前半100ページは正しい意味での伝記.後半は70ページは,Hennig の業績がどのような学問的波及効果をもたらしたかを考察している.



短い第1章「Introduction」(pp. 1-3)に続く長大な第2章「Willi Hennig's Biography」(pp. 5-100)が本書の中核をなす伝記部分である.Hennig の家族へのインタヴューや未公開資料,元同僚や関係者からの情報提供を踏まえて書かれたこの伝記には,これまで知られていなかった Hennig の生い立ちや学校での教育,結婚生活や研究活動の詳細が報告されている.とりわけ興味深かったのは,第二次世界大戦前後のドイツの政治情勢との関わりだ.イタリアでの捕虜生活を終えて戻ってきた Willi Hennig は,ベルリンのドイツ昆虫学研究所(DEI)に勤務した.生活と仕事の場は東西ベルリンにまたがっていた.ところが,1961年に東西ベルリンを隔てる「壁」によって Hennig の生活は一変する.それでも毎日「壁」を越えて東西ベルリンをまたいで通勤するという生活がその後もずっと続いたとのこと.当時の政治状況を考えれば特例扱いだったのだろう.



当時の東独では,秘密警察網と密告制度をくまなく張りめぐらした悪名高い国家保安省「シュタージ(Stasi)」が暗躍していた.Hennig の勤務先のドイツ昆虫学研究所にもシュタージの諜報員が潜入していて,彼の研究活動はすべてシュタージに把握されていたとのこと.Hennig がアンチ共産主義者だったこともシュタージに目をつけられた理由の一つだったのだろう.「壁」が崩壊する前の旧東独での研究活動がどのようなものだったかがうかがわれる記述が延々と続く.東西ドイツ時代の事前知識がないとつらい.脇道だが,「シュタージ」についてもっと知りたければ,ドイツ映画〈善き人のためのソナタ〉をじっくり見るように.



本筋に戻ろう.Hennig は頻繁に国際会議にも出席していたので,ベルリンの「壁」以降の冷戦時代にあっても,研究生活上は大きな支障はなかったとのこと.ただし, “西側” の研究者にとって Hennig の書く晦渋なドイツ語は最大の障害だったらしい.Willi Hennig は英語がまったくできなかったらしい.自分の論文はもちろん,英語圏との研究場の手紙のやり取りもすべてドイツ語で通していたようだ.主著『Phylogenetic Systematics』(1966)をはじめ彼の名で出版された英語の著書や論文はすべて他者に英訳してもらったとのこと.



第3章「Willi Hennig's Personality ― The Shy Revolutioniser」(pp. 101-108)は,Hennig の人柄について.彼はブリリアントな講演ができ,流暢な文章を書けるタイプの研究者ではなかったそうな.交際範囲も “狭く深く” がモットーだったようだ.第4章「The Taxonomist」(pp. 109-118)は双翅類分類学者としての Hennig の業績について.



続く第5章「The Systematist」(pp. 119-162)は Hennig の系統体系学理論(Hennig 1950, 1966)の波及効果を年代を追って叙述する.Hennig は系統発生の「一般法則」を見つけ出そうとして,形質変換系列の偏位則(deviation rule)と地理的分布に関する前進則(progression rule)を系統復元の要に据えていた.したがって,英語圏でのパターン分岐学のような新たな考えには距離を隔てたに違いないと著者は推測する.とくに,形質状態の方向性判定は系統復元に先立って総合的になされるべきであって,たとえば最節約原理によって機械的に判定するものではないと考えていたらしい.Steve Farris が1960年代末に最節約法に基づく系統推定アルゴリズム(Wagner法)を開発したのは,Hennig からの影響ではなく,植物学者 W. H. Wagner のアイデアに着想を得たと証言している(Farris 2012).



体系学論争の最初期に何があったのかはまだよく解明できていない.David L. Hull の壮大なゴシップ本(Hull 1988)には,Hennig の英語での主著『Phylogenetic Systematics』(1966)は,翻訳者たちが “観念論形態学” に毒されていたので,ひどい訳になったとけなしている.しかし,Schmitt はドイツ語原稿と英訳文とを比較した上で,あんな晦渋な Hennig の文章をよくぞ翻訳できたとむしろ高く評価している.



第6章「The Philosopher」(pp. 163-166)では Willi Hennig の思想的基盤を問う.彼の哲学的な基礎は,20世紀初頭のウィーン学団による論理実証主義とそれから派生した論理経験主義にあるらしい.Hennig が1950年代以降 Joseph H. Woodger や John R. Gregg の公理論的体系を引用した背景もこれだったのか.この点については,Rieppel (2007) により詳しい記述がある.



第7章「The “Hennigian Revolution”」(pp. 169-174)は,Hennig の系統体系学はいかなる意味で “革命的” だったのかを考察する.彼の明確な概念体系の構築こそ体系学にとって “革命的” だったと結論する.



1960年代に始まる体系学論争からすでに半世紀が過ぎ,分子系統学にもとづく体系化があたりまえの時代になった.それとともに,ようやく生物体系学の現代史の叙述が再検討できる機運が高まってきたといえる(Williams and Ebach 2009, Williams and Knapp2010, Hamilton 2014).しかし,Hull の体系学史の本(Hull 1988)には数多くのまちがいやバイアスが含まれている(Farris and Platnick 1989, Farris 1990, Hull 1990).一方,Joseph Felsenstein(1986, 2001, 2004)が描く体系学史もまた “統計系統学” 的に偏向している.過去半世紀に及ぶ生物体系学の錯綜した歴史はまだそのすべてが解明されているわけではない.おそらくそれは分岐学派だけの話ではないだろう.



Willi Hennig はその著作や論文こそ広く読まれてきわめて影響力があったにもかかわらず,旧東独という “カーテンの向こう” に隠されて,どのような研究人生を送ったのかがほとんどわからないままだった.しかし,1989年にベルリンの「壁」が崩され,東西ドイツが統合されるとともに情報が少しずつ流れるようになった.たとえば,Vogel and Xylander (1999) は Hennig の生まれ故郷と生い立ちについて初めて報告した.本書の著者 Michael Schmitt 教授が Hennig の生涯を調べ始めたのも今から15年近く前にさかのぼる(Schmitt 2001, 2010).彼とは全世紀末からメールや別刷りのやりとりを続けてきたが,昨年,北ドイツのロストック大学で開催された Willi Hennig Society 年次大会では15年ぶりにお会いし,本書に基づく基調講演を聞く機会を得た.



長年にわたる資料収集と調査の成果が一冊の本となって完成したことは読者にとってはたいへんありがたい.本文のところどころ校正ミスが残っているが,そんなのはぜんぜんたいした問題ではない.ありがとうありがとう.


引用文献

  1. James S. Farris 1990. Haeckel, history, and Hull. Systematic Zoology, 39: 81-88. pdf [open access]
  2. James S. Farris 2012. Early Wagner trees and “the cladistic redux.” Cladistics, 28: 545-547.
  3. James S. Farris and Norman I. Platnick 1989. Lord of the flies: the systematist as study animal. Cladistics, 5: 295-310.
  4. Joseph Felsenstein 1986. Waiting for post-neo-Darwin. Evolution, 40: 883-889.
  5. Joseph Felsenstein 2001. The troubled growth of statistical phylogenetics. Systematic Biology, 50: 465–467. pdf [open access]
  6. Joseph Felsenstein 2004. Inferring Phylogenies. Sinauer Associates, Sunderland.
  7. Jürgen Haffer 2007. Ornithology, Evolution, and Philosophy : The Life and Science of Ernst Mayr 1904-2005. Springer-Verlag, Berlin.
  8. Andrew Hamilton (ed.) 2014. The Evolution of Phylogenetic Systematics. University of California Press, Berkeley.
  9. Willi Hennig 1950. Grundzüge einer Theorie der phylogenetischen Systematik. Deutscher Zentralverlag, Berlin.
  10. Willi Hennig 1966. Phylogenetic Systematics. Translated by D. D. Davis and R. Zangerl. University of Illinois Press, Urbana.
  11. David L. Hull 1988. Science as a Process: An Evolutionary Account of the Social and Conceptual Development of Science. The University of Chicago Press, Chicago.
  12. David L. Hull 1990. Farris on Haeckel, history, and Hull. Systematic Zoology, 39: 397-399. pdf [open access]
  13. Olivier Rieppel 2007. The metaphysics of Hennig's phylogenetic systematics: Substance, events and laws of nature. Systematics and Biodiversity, 5: 345-360. abstract
  14. Michael Schmitt 2001. Willi Hennig 1913-1976. Pp. 316-343, 541-546 in: Ilse Jahn and Michael Schmitt (eds.) 2001. Darwin & Co.: Eine Geschichte der Biologie in Portraits, Band II. Verlag C. H. Beck, München.
  15. Michael Schmitt 2010. Willi Hennig, the cautious revolutioniser. Palaeodiversity, 3 (Supplement): 3–9. pdf [open access]
  16. Stefan Schomann 2008. Letzte Zuflucht Schanghai: Die Liebesgeschichte von Robert Reuven Sokal und Julie Chenchu Yang. Wilhelm Heyne Verlag, München.
  17. Jürgen Vogel and Willi Xylander 1999. Willi Hennig - Ein Oberlausitzer Naturforscher mit Weltgeltung: Recherchen zu seiner Familiengeschichte sowie Kinder- und Jugendzeit. Berichte der Naturforschenden Gesellschaft der Oberlausitz, 7/8: 145-156. issue | pdf [open access (without figures)].
  18. Quentin D. Wheeler, Leandro Assis, and Olivier Rieppel 2013. Heed the father of cladistics. Nature, 496: 295-296.
  19. David M. Williams and Malte C. Ebach 2009. What, exactly, is cladistics? Re-writing the history of systematics and biogeography. Acta Biotheoretica, 57: 249-68. abstract
  20. David M. Williams and Sandra Knapp (eds.) 2010. Beyond Cladistics: The Branching of a Paradigm. University of California Press, Berkeley.


三中信宏(2014年5月20日|2017年6月15日加筆)