『月の輪書林それから』

高橋徹

(2005年10月10日刊行,晶文社ISBN:4794966857



前半:第I部「二〇〇二年李奉昌と出会う」(pp. 9-187)を読了.前著である高橋徹『古本屋 月の輪書林』(1998年6月30日刊行,晶文社ISBN:4794963599)と同じく,『蒐書日誌』風のスタイルで綴られる.この古書店主さん,本を売りたいのか,蒐めたいのか,はたまた読みたいのかの境目がぼやけているところがおもしろい.「目録」づくりにイノチを懸けているところは前書と同じ.

後半:第II部「二〇〇五年三田平凡寺を歩く」を読了.120ページほど.明治の三田平凡寺という人物をめぐる目録づくり.今年の話題なので,知っている固有名詞や書名は格段に多くなる.それにしても,月の輪書店の「目録」とはいったいどんなものなのか,手にしたくなる.

読んでいる途中で,ときどき知った人名や書名が顔をのぞかせる.そのひとつ:多田謡子遺稿追悼文集『私の敵が見えてきた』(1987年刊行,編集工房ノア,ISBNなし).自宅にかかっている女の暦編集室(編)のカレンダー『姉妹たちよ! 女の暦2005』(2004年発行,ジョジョ企画)の11月の写真がたまたま多田謡子だったので,pp. 130-131 に書かれてある内容の背景はよくわかる.遺稿集らしからぬ本だそうだ.それにしても,〈女の暦〉では愛称“アラレちゃん”が,この本だと“ダンボ”とあだ名されている.だいぶちがうんじゃないかなあ,イメージが.

多田謡子は,1957年京都市生まれで,弁護士活動をしていた1986年に29歳の若さで過労死したという.ひとつ年上だが,ほとんど同ジェネレーション.※著者は「ぼくより一歳年下の」(p. 131)と記しているが,奥付の経歴からみて著者はぼくと同年齢と思われるので,この箇所はきっと「一歳年上の」のまちがいだろう.

追記)More on 「多田謡子」 —— 『見晴らし荘のころ』というノンフィクション記録(小節風伝記)がオンライン公開されている→〈「見晴らし荘のころ」(「謡子追想」改題)のページ〉.彼女が旧国鉄労働争議問題に[も]絡んでいたとはぜんぜん知らなかった.