『工作舎物語:眠りたくなかった時代』

臼田捷治

(2014年12月10日刊行, 左右社, 東京, カラー口絵 4 + 293 +7 pp., 本体価格2,200円, ISBN:9784865281095目次版元ページ

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見えなかった系譜が見えた



本書は1970年台の工作舎を中心とする人脈と業績について,当時の関係者たちの証言やインタヴューを中心にたどった本である.本書で主役を演じる松岡正剛さんとはワタクシはずいぶん前に佐倉統さんの出版記念パーティで紹介されたのが唯一の対面だった.もう一人の立役者である杉浦康平さんとは昨年からの〈系統樹の森〉展示の企画段階で何度かお会いした.



ワタクシがのちに『系統樹曼荼羅』の共著者となる杉山久仁彦さんと駒場のとある喫茶店で初めてお会いしたとき,「三中さんのこれまでの著書は図版の扱いがなっていませんね」と指摘された.そのときははっきり言って何が問題なのだろうと実感が湧かなかった記憶が今でも残っている.しかし,本書の冒頭で,著者が「いまから四十年ほど前,七〇年台前半ころまでの出版デザインはまだまだ立ち後れていた」(p. 8)と指摘し,「人文学・学術系の堅い内容の書籍はもっと遅れていた.編集者が何らのセオリーもないまま,自己流で装丁をまとめあげているケースが多くを占めていた」(p. 8)と言う状況がその後も大勢を占めていたということなのだろう.本造りにはグラフィック・デザインあるいはアート・ディレクションという仕事があるのだとワタクシが実感するまでにはしばらくの時間が必要だった.



本書には視覚的デザインとしての “ダイヤグラム” への松岡さんと杉浦さんの関心の深さに言及した部分がある.共著で出た杉浦康平松岡正剛(編)『ヴィジュアルコミュニケーション』(1976年12月20日刊行,講談社[世界のグラフィックデザイン・1],東京,239 pp.)は手元にもっているが,確かにワタクシ自身がいまやっていることと密接に関係していることはまちがいない.そういえば,杉浦さんが強く影響を受けたと著者が書いている(p. 147)Herbert Bayer『世界地理地図帳(Goldmanns Grosser Weltatlas)』は,ワタクシが2年前に入手して,その後杉山さんに渡っていった.



本書第2章には次のような記述がある:「講談社現代新書のカバー裏面に年表や地図,構造図などのダイアグラムを入れる試みは杉浦の提案.カバー裏に図版が入っているとは…….破天荒な挑戦だ」(p. 90).杉浦康平が現代新書の装丁を手がけたのは1971〜2004年の30年余りだったそうだ(p. 89).ワタクシがその現代新書から『系統樹思考の世界』(2006)と『分類思考の世界』(2009)を出したのは,ポスト杉浦康平時代だったので,カバージャケット裏にダイアグラムを刷るという “文化” は現代新書からはすでに喪われていた.ワタクシがあえて “カバー裏” にアタナシウス・キルヒャーの「セフィロトの樹(Systema Sephiroticum)」とかジョルダーノ・ブルーノの「イデアの影(De Umbris Idearum)」のダイアグラムを刷りましょうと編集部に提案したのは,杉浦イズムとはまったく無関係のことだった(現代新書にそんな過去があったとは知らなかったし).しかし,結果的には “カバー裏ワールド” の一時的な復活になった(担当編集者だった川治豊成さんのおかげ).



本書を通読して,あらためてダイアグラムやインフォグラフィックスが1970年台当時から工作舎というデザイン(「編集工学」)の現場で論議されてきた状況を垣間見ることができた.そして40年後のいま,かつての「なかのひと」とは異なるバックグラウンドのもとに,ワタクシは彼らとは異なる知的系譜をたどってこの世界に足を踏み入れ,ぜんぜんちがう窓からこの世界を覗きこんでいる.昨年の神保町での〈系統樹の森〉展示だけでなく,先般終了した〈系統樹の森・大阪展〉もまた本書に記録されている40年前の歴史の末端に位置している.松岡正剛さんや杉浦康平さんの放つ “オーラ” は今なおただごとではない.実際に対面してみてワタクシはそう強く感じた.だからこそ,ワタクシはその結界の “外” にいなければならないということだ.



おそらく多くの読者は,本書に描かれた時代の工作舎の “不夜城” のごとき労働環境やあってないような給料制度に驚くにちがいない.それはそれで確かに昭和的な出版社の “ブラック” ぶりを象徴する一例ではある.しかし,それ以上に本をめぐるグラフィック・デザインやアート・ディレクションの変革が生まれた “梁山泊” での逸話の数々はたいへん興味深い.個人的な知り合いの名前が思わぬところで登場し,意外な人たちが水面下で人脈的につながっていたことを本書を通じて知ることができた.世代的に関係者たちが表舞台から次々と退く前にこのような記録を残してくれた著者に感謝したい.



三中信宏(2014年12月22日)