『美酒と革嚢:第一書房・長谷川巳之吉』

長谷川郁夫
(2006年8月30日刊行,河出書房新社,東京,vi+441+xvii pp., 本体価格5,800円, ISBN:4309017738目次版元ページ

本書は,出版されてすぐ買ったにもかかわらず,読了するまで実に10年もかかってしまった…….

第1部の序章「反時代的に」(pp. 9-32),第1章「震災まで」(pp. 33-82),そして第2章「東京復興」(pp. 83-117)まで読了.2段組みで文字数がとても多い.うれしい.長谷川巳之吉丸善の洋書部で「唐草模様(アラベスク)」の装幀様式を「盗み取った」そうだ(pp. 100-101).

続いて第1部第3章「美酒と革嚢」(pp. 118-133),そして第2部の序章「第一書房という出版社があった」(pp. 137-144),第1章「英国大使館通り」(pp. 145-174),第2章「第一書房文化 ―― 「セルパン」まで」(pp. 175-244)まで読み進む.活字がたくさんあって,なかなか先に進めないのがまたよろしい.けんかしたり,造反したり,知った名を見たり,堀口大學がとてもえらかったりする.木下杢太郎,怒りまくり.日夏耿之介,性格わろし.濃密でおもしろい.

ここで半年ほど読書ブランクが空く.

昨年(2006年)来,寝読み用にしていたのだが,たまには外出させてやらないと.長大な第2部第2章「第一書房文化 ―― 「セルパン」まで」をやっと読了.プルーストジョイスの翻訳をめぐる第一書房 vs. 岩波書店の抗争.今となっては伝説化している「岩波茂雄」が一人の出版人として生きているようすを見るのは興味深い.

出版業界の“遺恨”まことにおそるべし.何十年経とうが,昔のウラミはいつまでも残り続けるということ.とくに,第二次世界大戦の敗戦前年,第一書房はその歴史を閉じたのだが,戦後,長谷川巳之吉に連なる著者たちが岩波書店から徹底的に排除された経緯は意趣返しというべきか.たとえば,第一書房からほとんどの著作を出していたという堀口大學の作品が,有名な『月下の一群』はもとより,いまだに岩波文庫に何一つ納められていないことからもその恨みの深さがわかるだろう,と著者は指摘する(p. 243).

第2部第3章「第一書房文化 ―― 「氷島」まで」(pp. 244-265)を読了.作家を見限る編集者/発行人と逆に作家から見限られる編集者/発行人の揺れ動く関わり合い.文芸雑誌『セルパン』をめぐる局所的な個人感情の空回りと,短命だった雑誌『リベルテ』をめぐる大局的な動向のゆくえ.第一書房は,ハングルの本やイタリア語の辞書まで手がけていたらしい.大胆というか,乱調というか.詳細にわたる記述が延々と続く部分だが,だからこそより大きなもの(時代背景)がその向こう側に透けて見えてくるのがおもしろい.

以上,2007年3月までの読書進捗.この巨大な評伝本はここまで読んだところで放り出してしまった.第2部第3章まで読み終えたのが2007年3月のことだったので,実に8年ぶりに続きを再開したことになる.今さら素知らぬふりをしてその続きを読み進むべきか,それとも反省して禊をすませて最初から読み直すべきか迷っていたのだが,

再開の第一歩は第2部第4章「春山行夫登場」(pp. 265-302)読了.意外にも忘れているようで話の筋をちゃんと覚えている.日本のグラフィック・デザイナーの先駆だった亀倉雄策が弱冠19歳で第一書房に乗り込んでくる場面がすごい(pp. 267ff.).

第2部第5章「ある転向」(pp. 302-333).第一書房から出版された土田杏村全集を企画したのは由良哲次(由良君美の父).続いて第2部第6章「戦時体制版」(pp. 333-346).第二次世界大戦中に “転向” した長谷川巳之吉と抵抗した岩波茂雄との対比.ディテールから浮かび上がる戦時下の出版状況と出版人.それにしても腕力が必要な寝読み本である.

第2部第7章「「永住の地」へ —— 鵠沼移住」(pp. 346-360)と続く長大な第8章「第一書房新体制」(pp. 360-408).第二次世界大戦中はあれほど軍部の検閲が厳しかったにもかかわらず,出版業界は大盛況で第一書房岩波書店も大儲けしたとの記述に驚く.長谷川巳之吉がどんどん転げ落ちていく姿がみもの.このころ,第一書房の雑誌『セルパン』にアドルフ・ヒトラー我が闘争』の抄訳を掲載したかどで,戦後,長谷川巳之吉公職追放されたという.

そして終章「第一書房廃業」(pp. 408-438).敗戦前に第一書房をたたんだ長谷川巳之吉の長すぎる戦後から晩年のこと.

第2部が深まるにつれて,著者の書きぶりが “単調に冷たく” なっていくのがとても印象的.ディテールが張り巡らされたこの大部の評伝はプッチーニの歌劇のごとし.