『異分野融合、実践と思想のあいだ。』

京都大学学際融合教育研究推進センター

(2015年3月31日刊行,京都大学学際融合教育研究推進センター,京都,119 pp., 非売品 → 目次情報

【書評】※Copyright 2015 by MINAKA Nobuhiro. All rights reserved



科学研究の “異分野連携” から “異分野融合” へ



異分野の研究者を “つなぐ” ことを目指してつくられた京都大学学際融合教育研究推進センターの公式ガイドブック.前半の第1部「異分野融合の実践」(pp. 8-65)では,このセンターがこれまで実際に手がけてきた「異分野融合」の事例がコンパクトに示されている.異分野ネットワークになりそうな “卵” を「ユニット」と命名して育てたり,敷居の低い「分野横断交流会」を定時的に開催したり,学際研究着想コンテスト,産学連携,ワークショップ支援など,このセンターがさまざまな試みをしてきたことがよくわかる.具体的な実践例を本ガイドブックの前半にもってきたことで,読者は「異分野融合」のイメージが容易につかめるだろう.



後半の第2部「異分野融合の思想」(pp. 66-107)は,このセンターを切り盛りしている宮野公樹による,異分野融合の「理念」の解説である.そもそも異分野の研究者あるいは研究者コミュニティーを「融合」するとはどういうことかというもっとも核心となる理念がくわしく説明されていて,ワタクシにとってはとても興味深かった.



著者は言う:


そもそも,学問の細分化は歴史的なもの.今の学術界は,数世紀をかけて現在の形態になった.それを無視して「重層化する課題解決には分野融合が必要」と一言述べたところで,歴史によって積み重なった学術界の形態が一瞬で変わるわけがない.本当に “分野融合” を推進したいのであれば,現状にいたる “分野分裂” に要した時間と同等かそれ以上の時間をかけなければならないだろう.(p. 69)



個々の学問分野は時空的な進化体なので,科学の歴史の中でどのように変遷・分裂・消滅・融合するかは,著者が正しく指摘するように,おいそれと変更できるものではないだろう.著者はさらに続けて言う:


そもそも「異なる分野の研究者が連携,協働する」という内容は異分野 “融合” ではなく,異分野 “連携” である. “連携” の推進には,効果的なマネジメントを適用すればいいだけである.一方,本来研究者の内発的な同期から生じるべき学術分野間の “融合” には「管理」という概念はそぐわない.(p. 71)



著者は,ここで異分野の研究者レベルでの “連携” とそれをさらに進めた異分野そのものの “融合” とを分けて考えていることがわかる.ワタクシ個人の実感としてもそれは妥当な見解だろう.研究者レベルでの “連携” や “交流” はフットワークさえ軽ければ(研究資金があればなおありがたい)なんとかなる.しかし,異分野レベルの “融合” となるとそんなに簡単なことではない.分野がちがえば “文化” がちがうから.



著者の考えでは,“異分野連携” は特定の目的を掲げた協力体制の構築であるのに対し,“異分野融合” はもっと普遍的な真理探究にある.ここで気になる点は,異分野の “融合” を誰が担って進めていくのかである.著者は “融合” の推進者は意識をもった個々の研究者であると指摘する:


いうまでもなくその学術分野の融合が生じる場面は,他ならぬ個々人の内側にある.つまり,「異分野融合」とは,他の世界観に触れて体得した個々人の実践の言語化を通じて,学者自身の内面で生じる啓発(気づき)のことである(p. 75)



しかし,実際には時空体としての個々の研究分野が “融合” するまでには,今を生きている研究者個人ではどうしようもない歴史的経緯や文化的伝統,そして研究者コミュニティーのなかの社会的ネットワークの動態という要因が横たわっている.著者自身,その点は十分にわかっているようだ:


連携は短期的だが,融合は長期的.

連携は科学的だが,融合は人文的.

連携は制度的だが,融合は歴史的.(p. 77)



手始めに異分野間で発生した “連携” は,科学者コミュニティーの中での適応度が高ければ,首尾よく生き残って「学際分野」となる(p. 89).しかし,著者はそのような制度的な「学際分野」はそのままでは “異分野融合” にはならないと言う.歴史的時間軸の重要性がここで強調される:


特に今日誕生するような学際分野は,得てして政策的意図を含んでいる.これは,異分野 “連携” ではあるが,一定の歴史を積み重ねて学術界全体のなかで定着したとき,おそらくそれは伝統学問として認知される.(p. 89)



著者は研究者ひとりひとりの “構え” が学際的連携には求められると主張する:


学際研究とは,「真理を追究したい」という研究者の内発的動機によって,他の研究領域に関心を持つことから始まる.異分野間で対話がなされ,対立的衝突が起こる.さらに,対立の後に個々人の内面にて世界観の再構築がなされれば,それが「融合」だ.(p. 93)



著者の言う “連携” を超えた “融合” を目指すためには,研究者は自分が属する研究分野(および周辺関連領域)の歴史的変遷と科学社会学的動態を “枠組み” として正しく認識する必要があるのだろう.残念ながら科学史や科学哲学の素養のない(大半の)研究者にはそれを期待できないところが問題となるかもしれない.



ワタクシがいま過ごしている生物体系学の分野は歴史的にみれば,言語学や文献学あるいは歴史学との接点があるので,分野の壁を超えたつながりはすでに部分的に進みつつある.さらに,この分野は研究者コミュニティーとしての科学社会学的動態もたいへんアクティヴなので,これから新たな “連携” や “融合” の契機もありそうだ.おそらく,他の研究分野でも同様のシーズなりニーズは水面下にまだまだたくさん潜んでいるだろう.研究者個人が活動しているいまの研究分野を越えて他のどの分野と “連携” や “融合” を目指せばいいのかという「最初の一歩」がたいせつだろう.本ガイドブックを手がかりに,多くの読者が自ら “壁” を越えていくことを期待したい.



なお,本書は非売品であり,しかも今ではめずらしくなった糸かがり装幀本という手間ひまのかかる本造りがなされている.可能であれば,本書のコンテンツをもっとアクセスしやすい形式で公開できないだろうか.



三中信宏(2015年5月13日)

追記]宮野公樹さんの関連記事が公開されている:現代ビジネス「たこつぼ化する専門の世界。「問う」だけでなく「届ける」研究者になるには?「これからの学者」目指す若者の道しるべとなる本『研究を深める5つの問い』」(2015年5月10日).この記事で取り上げられている最新刊:宮野公樹『研究を深める5つの問い:「科学」の転換期における研究者思考』(2015年4月20日刊行,講談社ブルーバックス・B-1910],東京,185 pp., ISBN:9784062579100目次版元ページ)も読了.「研究者である前に学者であるべき」(p. 182)という著者の主張には深く同意する.