ルル・ミラー[上原裕美子訳]
(2025年3月10日刊行、サンマーク出版、東京, 353+XXIX pp., 本体価格2,100円, ISBN:978-4-7631-4178-1 → 版元ページ)
原書:Lulu Miller『Why Fish Don't Exist: A Story of Loss, Love, and the Hidden Order of Life』(2020年4月刊行,Simon & Schuster, New York, viii+225 pp., ISBN:978-1-5011-6027-1 [hbk] → 目次|版元ページ)は5年前に出版されてすぐ買ったのだが、読む機会のないまま “積ん読” になってしまった。キラキラ輝く装幀の日本語訳が出て初めて通読した。
本書は、一方では師 Louis Agassiz の生物分類観を受け継ぎつつ、他方ではアメリカでの優生学運動の牽引役となった魚類分類学者 David Starr Jordan の生涯をたどる。ときどき著者自身の人生の迷いが絡んできたりして、読者を飽きさせない。メインタイトルの「魚が存在しない理由」は、本書後半にならないとわからない仕掛けになっている。
全体の筋書きはなんとなく想像できたが、実際読んでみるとけっこうおもしろい。メインタイトルは一見イミフだし、サブタイトルはやや煽りすぎではと思うが、内容はとてもおもしろい。スタンフォード初代学長にまで上り詰めた魚類学者が、ウラで何を考え、どんな行動を取っていたかは読んでのお愉しみ。
たとえば、第5章「標本瓶の中の始祖」の冒頭にはこう書かれている。
「ものごとは、名前を与えられるまでは存在しない——哲学ではそのように考える発想がある。……誰かが名前をつけたときに、初めてパッと存在を得るのだ。名前がつぶやかれた瞬間、概念は「リアル」になる。現実に対して影響を与えられるという意味での実体を得る」(p. 109)
もちろん、この立場に対抗する見解も著者は述べている。
「この世界にはリアルなものがある。名前があるかどうかに関係なく、リアルなものが。魚たちは、水面のすぐそばをうろうろする分類学者に「魚である」と名付けられたからといって、気にするだろうか。名前があろうとなかろうと、魚は、魚だ。そうではないか。そのはずではないか」(p. 111)
“魚” という群が実在するのかしないのか——その論争は20世紀後半の体系学論争へと連なっていく。本書後半で引用されている:キャロル・キサク・ヨーン[三中信宏・野中香方子訳]『自然を名づける——なぜ生物分類では直感と科学が衝突するのか』(2013年9月3日刊行、NTT出版,東京,vi+391 pp., 本体価格3,200円, ISBN:978-4-7571-6056-9 → コンパニオンサイト)を訳しておいてよかった。