『人名用漢字の戦後史』

円満字二郎

(2005年7月20日刊行,岩波新書957,ISBN:4004309573

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【書評(まとめ)】

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第二次世界大戦後からの「漢字」をめぐる興味深い“歴史掘り起こし本”だと思う.敗戦直後の〈当用漢字表〉と〈人名用漢字〉が制定されたときの“時代精神”(漢字制限派と漢字推進派の双方に関わる)の変遷がたどられているのがとりわけおもしろい.そして,現代の〈常用漢字表〉と〈人名用漢字〉の取り扱いは,その基本方針からして半世紀前とはがらっとちがっていることに気づかされる.第二次世界大戦直後の〈民主化〉という錦の御旗が「漢字制限派」と当時の「漢字政策」のよりどころとなったわけだが,その後の半世紀の間に,このよりどころがしだいに頼りなくなって,それに代わる新たな論争点が浮かび上がってくる経緯がとても興味深い.

漢字推進派と漢字制限派との確執のルーツを著者は“人名漢字”を軸に読み解いている.それは,単に国語学だけの問題ではなく,政治・行政・文化にまたがる重層的な意味をもっていて,時代ごとに異なる向きと大きさのベクトルの総和が「漢字政策」を左右してきたことがしだいに見えてくる.単に「人名漢字の個数」の話ではなかったのですね.敗戦直後という歴史的な時期にあって,戦前の軍国主義の影をひきずる〈漢字〉が帯びていた歴史的性格が,一方で本来的に表意文字である〈漢字〉1字1字の“かけがえのなさ(=唯一無二性)”と激しく衝突していたことが第1章を読むとよく理解できる.

戦後から現代にいたる人名用漢字の変遷をたどった第2章以降でとりわけ注意を惹きつけられたのは,国語学言語学の側での学問的な見解や漢字政策に関わる政治の側の問題(省庁間の対立も含む)の他に,役場の窓口で新たに申請される人名用漢字を審査する「戸籍実務者」,あるいは人名用漢字の無制限な増大を懸念する「印刷業界」という漢字を“生業”とする関係者の思惑が大きく作用することがあったという点だ.敗戦直後の漢字制限派=民主化推進勢力 vs. 漢字推進派=復古反動勢力という対立図式がしだいに弱まっていくとともに,漢字制限派=漢字実務者 vs. 漢字推進派=一般の漢字ユーザーという新たな対立図式が現われつつあると著者は指摘する.

表意文字としてのある漢字を使うことは「唯一無二性」を帯びると著者は繰り返し言う.要するに,他の漢字を用いた書き換えでは対処できない“かけがえのなさ”がそこにあるということだ.たとえ,その漢字が俗字や誤字であったとしても,当事者にとっては「唯一無二性」がある.とすると,漢字表現の自由を求める一般の漢字ユーザーの欲望をそのまま放置すると,たちまち「無限性」の問題にぶつかるだろうと著者は警告する.それは,漢字実務者にとっては何としても回避しなければならない問題だ.このジレンマを簡単に解決する方法はないだろう.しかし,そういう今日的問題があるということがわかっただけでも本書を読んだ価値はあったと思う.

著者は最後の段落でこう述べている:




考えてみれば,唯一無二性とは,漢字自身がもっている性格ではない.漢字を使う私たちの意識に存在している性格なのだ.だとすれば,読み方と唯一無二性だけをまとった漢字とは,おそろしく空虚な漢字なのだ.(p. 216)



表意文字としての漢字は「具象」に発する系譜をもつリネージだと考えられる.とすると,そのようなリネージを「文字」として用いるとき,著者の見解とは逆に「唯一無二性」は漢字のリネージ本体がもっているのであって,ユーザーはその漢字リネージを利用しているだけだという見方も可能なのではないだろうか.

たとえば,俗字・誤字の唯一無二性の例として,著者が挙げている〈土方〉姓のケースがある(pp. 176-177).このケースでは,本家筋は〈土+上`〉(〈土〉の上の横棒の右上に〈`〉がつく)を用い,分家筋は〈土+下`〉(〈土〉の下の横棒の右上に〈`〉がつく)を用いているそうだ.いずれも俗字であることは明らかだ.しかし,このケースの唯一無二性は関係者の「意識に存在している」わけではない.むしろ,〈土〉という漢字の祖先リネージに対して,〈土+上`〉ならびに〈土+下`〉という共有派生形質が生じることで,新たな子孫リネージが生じていると見るしかないだろう.すなわち,唯一無二性は漢字本体が帯びている内的な属性(もっと正確にいえば漢字の「系統樹」がもつ属性)であって,漢字ユーザーの心象いかんでどうにでもなるものではないということだ.唯一無二性が「漢字自身がもっている性格」であるという見解は本書の範囲ではまだ棄却できていないとぼくは思う.

とすると,著者の提起したジレンマに対するぼく自身の見方はさらに悲観的なものになるのかもしれない.

[付記]敗戦直後に論議された漢字のもつ「封建的性格」が薄らいでいったことを象徴する文化現象のひとつとして,著者は“漢字とたわむれる”傾向,具体的には漢字を題材とするタイポグラフィック・アートが1970年代以降しだいに広まってきた点を指摘している(p. 160-161).ぼくの手元に,あの夢枕獏が書いた『カエルの死:タイポグラフィクション』(1985年1月1日刊行,光風社出版, ISBN:4875194706)という大判の本がある.漢字や仮名を“字絵”としてデザインした作品集だ.この本のあとがきを見ると,著者が“タイポグラフィクション”と命名するこれらの作品の初出は「昭和52年」とのことだから,やはり1970年代に入ってからの創作活動といえる.今だったらこういう作品は,少なくとも気分的には,あってもフシギではないと感じてしまうだろうが,20年前はとても新鮮に感じられて,書店の店頭で手に取って速攻でレジに走った記憶がある.

三中信宏(21/August/2005)




【目次】
まえがき i

序章 すべての始まり 1
 1 戸籍法の改正 2
 2 漢字制限と国語政策 8
 3 事件への序曲 16

第1章 人名用漢字の誕生 23
 1 蓄積された不満 24
 2 事件は国会へ 34
 3 国語審議会、乗り出す 47
 4 国語審議会、怒る 61
 5 反撃する国語審議会 72
 6 語られざる一幕 84

第2章 時代の分水嶺で 93
 1 そして、二〇年余りが過ぎた 94
 2 法務省、重い腰を上げる 104
 3 国語審議会と法務省の対立 112
 4 国語審議会との訣別 126
 5 戸籍実務家たちの戦い 140

第3章 唯一無二性の波 157
 1 国会での持久戦 158
 2 法務省、奮闘す 170
 3 沖縄からの訴え 188

終章 曲がり角の向こうへ 197
 1 そして、二〇〇四年 198
 2 広がりゆく地平線 204

資料・人名用漢字見直し案 217
主要参考文献 221
あとがき 223