『統計学を拓いた異才たち:経験則から科学へ進展した一世紀』

デイヴィッド・サルツブルグ著/竹内惠行・熊谷悦生訳

(2006年3月23日刊行,日本経済新聞社ISBN:4532351944目次

【書評】

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原著は:David Salsburg『The Lady Tasting Tea: How Statistics Revolutinalized Science in the Twentieth Century』(2001年刊行,Henry Holt and Company, ISBN:0805071342).



近代統計学の概略をあらかじめ知っている読者にとっては,とても興味深い歴史絵巻が繰り広げられている.講義ネタとして使えるエピソードもたくさんある(ばくぜんと知っていた知識の確認にもなる).しかし,本書でいきなり「統計革命」という言葉が登場するのだが,これについては説明不足である気がする.今世紀に連なる“probabilistic revolution”の発現のひとつであることは明らかだが,その歴史的文脈の流れが科学史的挿話に埋もれて必ずしも明確には見えてこない.



フィッシャー vs. ピアソンの根深い対立や,極値統計学を確立したグンベルの話題がおもしろかった.有名なクラーメルの数理統計学本(1946)がフィッシャーの“解説書”を意図していたとは知らなかった.アデレード大学で出版されたフィッシャーの5巻論文集は,まだ大学にいた頃に公費で買ってもらったが,今では入手しがたい文献になってしまった.苦労人イェジー・ネイマンはこの上もなく good guy だったということか.数理統計学の大看板カール・ピアソンとロナルド・フィッシャーが性格的に“ちと”難ありだったからよけいにそう見えるのかもしれない.



研究者としても,また教育者としても,さらには家庭人としても「全き人」であったコルモゴロフが印象的に描かれている(14章).人格的に問題があったルベーグや性格的に難があったフィッシャーとの対比がおもしろい.続く15章では,女性統計学者の先達として,ピアソン父子やフィッシャー,ゴセット,ネイマンと同じ職場の同僚として UCL で研究を続けた F. N. ディヴィッドが登場する.“F. N.”の名は両親の親友だったフローレンス・ナイチンゲールにちなんでつけられたという.そのナイチンゲールクリミア戦争の戦傷者の統計を図示化するにあたって,現在も使用されている「pie chart」を発明したのだと著者は記している(p. 190).



そうだったのか! と思って,〈Florence Nightingale's Statistical Diagrams〉というサイトを覗いたりすると,こちらではナイチンゲールは統計グラフのパワー・ユーザーではあったが,けっして発明者ではなかったと書かれている.Edward R. Tufte の図的言語本:Edward R. Tufte『The Visual Display of Quantitative Information』(2001年,Graphics Press,ISBN:0961392142)によると,pie chart の発明者は William Playfair (1801)だそうだ.



経歴的におもしろいのは,ほぼ哲学者の I. J. グッドと P. ダイアコニス.グッドは第二次世界大戦中は,ドイツ軍の〈エニグマ〉暗号機の解読に従事していたそうだ.一方,高校中退後,プロの大道芸人の修行をしたダイアコニスが,後にブラッドリー・エフロンらとともに「コンピュータ統計学」を立ち上げることになったのは周知のこと.



ジョン・テューキーはやっぱり鬼才だなあ.計算機統計学のこととか,最近の医療統計学の動向など.—— 統計学のビッグネームたちの業績(行跡)はそれぞれおもしろい.



最後に,統計学のもっとも“哲学”的な部分について言及があって,考えさせられるものがある.「確率」とは実生活では何を意味しているのかとか,そもそもわれわれは「確率」を認知的にどのように受容しているのかという問題が最終章で議論されている.「欠点のある崇拝物」とは言わないまでも,「the idol with feet of clay」であることは確かだろう(おんなじか).確率論・統計学の背後にある基本仮定については「哲学的分析」が必要なのだが,それがいまだになされていないという著者の問題提起には耳を傾けるべきだろう:


哲学は,哲学者と呼ばれる一風変わった人々による深遠な学問的練習などではない.哲学は日々の文化的思想や行動の背後に潜んでいる仮定を考察するのである.われわれが自らの文化から学んだ世界観は,ちょっとした仮定に支配されている.そのことに気づいている人はほとんどいない.哲学研究はこうした仮定を暴き出し,その正当性を検討することにある.(p. 371)

全体にわたっていえることだが,数理統計学についてある程度の事前知識をもっている読者は,本書に散りばめられているエピソードや内輪話を楽しむことができるだろう.歴史の「挿話集」は,たいていの場合,そういう想定読者を念頭に置いて書かれているはずだから.この本は読者を選んでいる.



なお翻訳に際しては,人名索引はついているが,事項索引は省かれている(原書では両者は混ざっている).原書の参考文献に加えて,引用箇所についての独自のリストが掲載されていて,読者の便宜を図っている.



三中信宏(18 May 2006)