『カラー版・世界の四大花園を行く―砂漠が生み出す奇跡』

野村哲也

(2012年9月25日刊行,中央公論新社中公新書2182],東京,198 pp., ISBN:9784121021823版元ページ著者サイト

砂漠の花園の本.オーストラリアの砂漠で満月の月光に浮かび上がるリースフラワーの輪,チリの岩山にひっそり開花する真っ黄色のガラ・デ・レオンなど,カラー版新書の良さが十分すぎるほど発揮されていて,「花酔い」の疑似体験ができる.

最終章に,とても興味深い一節がある.著者は南米チリのとある谷で瞑想するバルデス師との対話を通して:

バルデスの話を聞きながら,僕は宮沢賢治の「インドラの網」という童話を思い出していた.華厳経に説かれるインドラの網は,インドの勇猛な神「帝釈天」の宮殿にかけられた,巨大な球状の網のこと.その結び目には,美しい水晶の宝珠が縫い込まれ,全体が宇宙そのものを表現しているとされる.また宝珠の一つひとつが他の一切の宝珠を映し込んでいることから,ひとつの宝珠に宇宙のすべてが収まっている,というようにも考える.(pp. 192-194)

と書き記している.あれれ,どこかで聞いたことのある文章だと思って,自分の本を検索したらすぐヒットした.これは『分類思考の世界』の「インテルメッツォ:実在是表象,表象是実在(二〇〇七年ニューオーリンズアメリカ)」冒頭の引用文だ(p. 146):

Hier möchte ich zur Erläuterung meiner Auffassung der Einzelwesen oder der Species und Gene ein Gleichnis anfügen. Das Universum ist gleichsam ein grenzenloses Netz mit unzählbaren Millionen von kristallenen Kügelchen. Jedes der Kügelchen sitzt auf einer Masche von verschiedener Farbe; jedes wirft die Bildchen der anderen Kügelchen zurück und jedes zeigt infolgedessen, der Lage der Beobachters gemäß, verschiedene Schattierungen. Sie sind jedoch nur in ihrer Erscheinung für das Auge des Beobachters verschieden, in ihrem reellen Sein sind sie alle und immer dieselben kristallenen, farbenlosen Kügelchen. (Bunzô Hayata 1931. Über das “dynamische System” der Pflanzen. Berichte der Deutschen Botanischen Gesellschaft, 49: 328-348, p. 346)







[訳文]ここで,それぞれの種や遺伝子を私がどのように理解しているかを示すためにこんなたとえ話をしてみよう.この宇宙はおびただしいガラス玉がつながってできる広大無辺なネットワークである.それぞれのガラス玉は色の異なる網の上にあって,他のガラス玉の像を反射する.その結果,観察者が見る位置によって異なる模様が現れることになる.しかし,それは観察者の目には異なって見えるにすぎない.実際に存在するのはすべて同じ無色のガラス玉だからである.(早田文蔵 1931, 「植物ノ動的分類體系ニ就キテ」ドイツ植物学会会報, 49: 328-348, p. 346)

早田文蔵はこの論文の中で,華厳経の宗教的啓示を受けて,「動的分類学(dynamische Taxonomie)」という新たな分類学の考え方を提唱したと明言している.彼の動的分類学を支える高次元ネットワーク概念が,華厳経のこの「インドラの網」だったことがやっとわかって,長年の未解決問題にやっと決着が着いた.

なお,本書で言及されている宮沢賢治の作品「インドラの網」は青空文庫ですでに公開されている.関係のある一節は下記の通り(ルビ削除):

「ごらん、そら、インドラの網を。」

 私は空を見ました。いまはすっかり青ぞらに変ったその天頂から四方の青白い天末までいちめんはられたインドラのスペクトル製の網、その繊維は蜘蛛のより細く、その組織は菌糸より緻密に、透明清澄で黄金でまた青く幾億互に交錯し光って顫えて燃えました。

早田文蔵と宮沢賢治華厳経の「インドラの網」を介してつながった瞬間.早田文蔵の描いた「インドラの網」に基づく「高次元ネットワーク図」とは,彼の論文:Bunzô Hayata 1921. The natural classification of plants according to the dynamic system. 臺灣植物圖譜・臺灣植物誌料・第拾巻,臺灣總督府民政部殖産局編,pp. 97-234に付された彩色図版である(→「宮沢賢治と早田文蔵:華厳経の「インドラの網」と高次元分類ネットワークとの関係」).

—— なお,著者は同じ中公新書から:野村哲也カラー版・パタゴニアを行く:世界でもっとも美しい大地』(2011年1月25日刊行,中央公論新社中公新書2092],東京,vi+182 pp., ISBN:9784121020925書評版元ページ)を出している.これもまたカラー写真が鮮やかすぎる.