「 “書評頻度分布” はココロの安らぎを保証する」

ワタクシが書いた本へのさまざまな書評や感想を並べてみると,必ず一つや二つは「ヘンなの(outlier)」が混じっている(とくにオンライン匿名書評には).書評頻度分布におけるそういう「outlier」は無視することにしている.単なる「外れ値」に思い悩むのは精神衛生上よろしくないからだ.書評の「外れ値」はそのまま放置するのがベスト.もちろん,有害な「外れ値」は積極的に叩いた方がいいのだが,たいていは聞き置くあるいは聞き流す.頻度分布の「端っこ」としての外れ値はどうしても出現するのでそれはもうしかたがない.ワタクシの場合,そういう「端っこ」は相手にしない.

「外れ値」の出現は制御できないが,「外れ値」への対処のしかたは主体的に決めることができる.書評ひとつひとつの発言や文章は言ってしまえばどうでもよくって,それら全体が形成するサンプル集団のもつ “書評頻度分布” の “平均” と “分散” が重要.それらから推定される仮想的な「書評母集団」の全体的傾向(位置パラメーターと分散パラメーター)がどうであるかを気にすればいい.その推定さえちゃんとできていれば,頻度分布の「端っこ」なんてまったく放置してかまわない.それだけでとてもハッピーな人生が送れる.

ココロの安らぎがほしい著者のアナタ,ひとつひとつの書評に一喜一憂するのではなく,書評データを集積して“書評頻度分布” をつくりましょう.各書評者の書評受容度パラメーターに関する “事前分布” を設定した上で,ある書評対象本の書評頻度分布を “事後分布” としてベイズ推定という最強の手立てもありえる!

【重要な補足】上の主張は「人間」そのものを「外れ値」とみなしているわけではなく,書いた文章や発言した文言だけにあてはまる.単なる頻度分布の形に人格を絡めるのは禁物で,人格と発言とははっきりと切り離すべきだろう.発言や文章に対する同意や批判は人格に対するそれとは何の関係もない.

参照:「匿名オンライン書評の読み方」(2010年2月9日)