「雑誌と論文にまつわるお金の問題」

世知辛い話題だが,だれも避けては通れないお金の問題:

  • macroscope 「学術論文の「オープン化」と費用負担」(2015年11月19日)※「知識が提供されるためには、その費用をだれかが分担するように制度をつくっておくことが必要だ」.
  • たゆたえども沈まず-有機化学あれこれ-「論文誌が高くなりすぎて」(2015年11月22日)※「とりあえず要は『金くれ』ってことです、論文に限らず色んな問題これで解決するし(/・ω・)/」― 確かに.

ワタクシがいる農環研という国研は今年度末に消えてなくなるのだが,吸収先の農研機構がはたして雑誌や書籍の購入を今後ちゃんと維持してくれるのか気になっている.Cf: leeswijzer「雑誌が買えなくなりました(orz)」(2013年7月29日)&「雑誌が買えなくなりました(orz)― 後日譚」(2013年10月7日).

研究機関での電子ジャーナルや電子書籍の購入は,いかなる意味でも「公費による学術ライブラリーの構築」には繋がっていないと思えてならない.電子的に “そこ” にあるように見える雑誌や本は単なる「幻」ですよ,というオチ.ワタクシにとって「電子図書館」は蜃気楼みたいなイメージしか湧いてこない.

ワタクシのように,研究機関的にマイナーな分野にいると,研究上必要な雑誌の購読は「紙雑誌を私費購入する」というのが原始的だが有効な研究環境防衛手段と言わざるをえない.ある意味,そういう姿勢は学術出版寡占企業の猛攻に対するパーソナルな “退却戦” であることは確かだろう.そうかと言って,現行の「電子雑誌の公費購入」を続けることは金の切れ目が縁の切れ目という身も蓋もない結末が待っている.それは “バンザイ突撃” をも覚悟した組織的な “玉砕戦” かもしれない.

そろそろ,研究者が生き伸びるための「新たな道」を模索しないといけない.