『増補 日本語が亡びるとき ―― 英語の世紀の中で』

水村美苗

(2015年4月10日刊行,筑摩書房ちくま文庫・み-25-4],東京,460 pp., ISBN:9784480432667目次版元ページ

巻末の「文庫版によせて」(pp. 408-454)という増補部分だけでも買う価値があった.本書の中心テーマは「文学」だが,巻末増補のなかのある一節「自然科学と母語の関係,そして,翻訳文化の重要性について」(pp. 415-424)では,科学と言語についての見解が述べられている:

  • 母語が英語ではないこと,西洋語でさえないことは,場合によっては,生産的な結果をもたらしうるのではないか ― というより.そう願うのである」(p. 416)
  • 「日本語で自然科学を研究することが,必ずしもマイナス面ばかりではないかもしれない」(p. 419)
  • 「自然科学においても微妙な思考は母語でせざるをえないとするならば,日本語が,その言葉でもって科学ができるような言葉であり続けて欲しいと,そう願うだけである.もちろん,それに欠かせない条件とは,日本において,翻訳文化が,学問でも盛んであり続けるということにほかならない」(p. 421)
  • 「このように〈国語〉がきちんと機能していて,初めて,自然科学の分野でも意味のある研究ができるようになるというのが,よく見えてくる」(p. 424)

著者の見解を支持する論拠が必ずしも明示されているわけではないのが残念である.内容的には,以前読んだ:松尾義之『日本語の科学が世界を変える』(2015年1月15日刊行,筑摩書房[筑摩選書・0107],東京, 238 pp., 本体価格1,500円, ISBN:9784480016133書評目次版元ページ)と強く共鳴しあっている.