『構造主義をめぐる生物学論争』

柴谷篤弘(編)

(1989年3月刊行,吉岡書店,京都,viii+318 pp.,ISBN:4842702230

編者である柴谷篤弘さんは2011年3月25日に享年90歳で逝去された —— 訃報:朝日新聞「生物学の革命」 元京都精華大学長・柴谷篤弘さん死去」(2011年3月26日)と毎日新聞訃報:柴谷篤弘さん 90歳=元京都精華大学長、同大名誉教授、生物学専攻」(2011年3月27日).

実を言えば,ここ十年あまり「柴谷篤弘」の動静がまったく伝わってこなかった.彼の最後の著作は前世紀末に出た:柴谷篤弘構造主義生物学』(1999年10月20日刊行,東京大学出版会,東京,viii+237+20pp. ,ISBN:413063318X目次)だったと思う.その後,彼がいったいどこで何をしているのか(そもそも生きているのかどうかさえ)の情報は,誰に訊いても確たるよりどころはまったく得られなかった.逝去の報をツイッターで知って初めて新聞訃報記事をたどった.

今にして思い起こせば,ワタクシが大学院を出てすぐ,かつてあった『AIジャーナル』誌に(生まれて初めて)生物分類学の連載記事を書く機会をもったのは,柴谷さんが同誌編集部に「おもしろい若手がいるから書かせてみたらどうか」とワタクシを紹介してくれたからだ(担当編集者だった田柳恵美子さんから聞いた話).柴谷さんとの面識はそれまでまったくなかったが,前年に『生物科学』誌に書いた cladistics に関する総説記事を読んでくれたのではないかと推察している.

その後,柴谷さんはいわゆる「構造主義生物学」を標榜するようになった.1980年代に大阪で開催された構造主義生物学国際シンポジウム(柴谷篤弘編 1989『構造主義をめぐる生物学論争』吉岡書店)にも参加するよう誘われたのだが,けっきょく行かなかった.構造主義生物学については,柴谷篤弘池田清彦ではなく,ニュージーランドの Robin C. Craw らから情報を得ていたので,日本国内での動向については敬して遠ざけていた.『生物系統学』では構造主義分類学についてはバッテンをつけている.

しかし,そういう過去の話はもうどうでもいいだろう.構造主義生物学については EVOLVE でさんざん議論したことだし.そして,柴谷さんは幽冥境を異にする“向こう側”に逝ってしまった.北大にいた頃の河田雅圭くんが主宰した『Network(s) in Evolutionary Biology』誌(1980年代)で,柴谷さんが自然淘汰に関する長文の記事を寄稿してきたのも今となっては懐かしい想い出の一コマである.日本語変換ができないからといって,柴谷さんがローマ字でメールしてきたこともあったけど,あれはどのメーリングリストのことだったろうか.

—— ご冥福をお祈りいたします.けっきょく生前には一度もお目にかかることはかないませんでしたが.