「外国語に無知であることへの許し」

先日届いたロシア人著者による英語の体系学書:Boris P. Zakharov『Nomosystematics: A Closer Look at the Theoretical Foundation of Biological Classification』(2013年刊行,Siri Scientific Press, Manchester, 176 pp., ISBN:9780957453005 [pbk] → 情報目次)をぱらぱら読み始めている.

この本は “実に幸いなことに” 英語で書かれているので,分類学と系統学の相互関係に関する著者の見解を詳しくたどることができる.生物体系学の本なのに,エルンスト・カッシーラーシンボル形式の哲学』への言及が五月蝿いほどあるのはかんべんしてほしいが,トマス・アクィナス形而上学叙説』への言及は許せる.

巻末の文献リストに列挙されている大量のロシア語文献を見るたびに憂鬱になる.

ウンベルト・エコ[谷口勇訳]『論文作法:調査・研究.執筆の技術と手順』(1991年2月25日刊行,而立書房[U. エコ監修〈教養諸学シリーズ〉・1],東京,xvi+274 pp., ISBN:4880591459)の第II章「テーマの選び方」には,II-5節「外国語を知る必要があるか」というセクションがある.その節でエーコは「ある論文のテーマを決定する前に,あらかじめ現存する文献を一瞥して,言語上の著しい困難がないことを確かめるだけの用心が必要である」(p. 31)と学生に諭している.なぜなら,「われわれに周知の言語で書かれた著書だけをよんで,ある著者なり,あるテーマなりについて論文を書くことはできない.われわれに未知な珍しい言語で,決定的な著書がこれまでに書かれたことはないなどと,誰が断言できようか」(p. 30)

キリル文字が読めないわけではないが(ハングルはぜんぜんダメだけど),それでもロシア語で書かれた膨大な体系学理論に関する文献を前にして(実物を手にしていないものも含めて),憂鬱にならないわけがない.エーコはこういう場合の「無学への許し」(p. 31)を乞うスタイルについても述べているんだけどね.だから,現代科学の lingua franca たる英語だけに頼って科学者として生きていくような無謀なことは小心者のワタクシにはとうていできない.

英語以外の言語で,決定的な論文がこれまでに書かれたことはないなどと,誰が断言できようか.