『シマウマの縞 蝶の模様:エボデボ革命が解き明かす生物デザインの起源』

ショーン・B・キャロル(渡辺政隆・経塚淳子訳)

(2007年4月30日刊行, 光文社, ISBN:9784334961978目次版元ページ著者サイト

【書評】

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「第三の革命(レボリューション3)」は無血革命か?



近年の進化発生生物学(evolutionary developmental biology)すなわち「エボデボ(evo-devo)」の進展とそれがもたらした成果を一般向けに解説した新刊だ.冒頭のカラー図版がとても効果的で,全体の構成もすっきりと体系立てられている.19世紀におけるダーウィン自身による進化理論の提唱を「第一の革命」,20世紀半ばの現代的総合を「第二の革命」と呼ぶとき,現代のエボデボが先行する二つの革命に匹敵する「第三の革命」なのだと著者は強調する.エボデボがどのような点で進化学における「第三の革命」なのかを示すことが本書の目的である.



第1部「動物をつくる」(第1〜5章)では,いまのエボデボの基本的な考え方と概念装置を説明する.生物の個体発生に関与する基本的な遺伝子群が(からだのもっとも基本的な体制をかたちづくる機能をもつ),近縁な生き物の間だけでなく,きわめて遠縁な生物間で共有されている.それらの遺伝子に関する比較研究がエボデボのターゲットである.



とくに,さまざまな生物が共有する基本的な遺伝子セット(“ツールキット”)がごく少数であるのに,どのようにしてこんなにさまざまなからだのつくりをもつ生き物ができるのかに著者は焦点を当てる.ポイントはそれらのツールキットをいつどこでどのように発現させるかを決める“スイッチ”である.この“スイッチ”が進化の過程で変化し多様化することにより,さまざまな生き物の“かたち”が生じることになる.



第1部での総論を個別の事例を通じてさらに詳しく述べているのが,後半の第2部「化石と遺伝子と動物の多様性構築」(第6〜11章)である.



第6章「動物進化のビッグバン」では,カンブリア爆発に焦点を当て,さまざまなボディプランをもつ動物たちがどのようにして生じたのか,そのメカニズムをエボデボの観点から論じる.そのもっとも大きな成果は,奇妙な形態をもつ生物たちのからだをつくるのに必要な遺伝子のすべては,カンブリア爆発のはるか以前にすでに存在していたという点だ(p. 177).実際,著者たちの研究グループは,カンブリア爆発のときの主役だった節足動物とそれに近縁なカギムシ類(有爪動物)の体節を形成するホックス遺伝子を調べることにより,有爪動物と節足動物の共通祖先の段階ですでにすべてのホックス遺伝子が揃っていたことを示した(p. 193).同じ遺伝子構成をもつ多様な生物たちは,その発現を変更することにより“かたち”を変えたということになる.



続く第7章「小爆発:翼などの革命的発明」は,節足動物の附属肢と翅や脊椎動物の指と翼の進化などいくつかの進化的革新の発生遺伝的背景を論じる.進化の過程で新規なものが生まれる秘訣を著者は次の四点としてまとめている:1) 既存のものの使いまわし;2) 多機能化;3) 重複;4) モジュール性.以下の章ではこれらの論点についてさらに議論が展開される.



本書のタイトルにもなっている,続くふたつの章(第8〜9章)の内容は,これまで未解決だった(しかもだれもが関心をもつ)生物学的問題に対して,エボデボがどのような解答を提示できたのかをみごとにアピールしている.チョウの斑紋形成に関与する遺伝子がどのように特定されたかを,自らの研究をも踏まえて振り返った第8章「蝶の目玉模様」はとてもワンダフルだった.いくつかの生物における発生過程でのメラニン形成のしくみを論じた第9章「黒く塗れ」もまた引き込まれる.シマウマの縞が「黒地に白」なのか,それとも「白地に黒」なのかという論争は,現在の知識をもってしても実は決着が着いていないそうだ(p. 289).



もう20年近く前のことだが,スティーヴン・ジェイ・グールド(渡辺政隆三中信宏訳)『ニワトリの歯:進化論の新地平(上・下)』(1988年10月31日刊行, 早川書房ISBN:415203372X [上] / ISBN:4152033738 [下])の翻訳を手がけたとき,下巻第7部「シマウマ三部作」を担当したのはぼくだった.第29章「シマウマの縞はどうやってできるのか」を訳していて,末尾の「早い話,シマウマとは黒地に白縞の動物なのである」(p. 267)というオチに深く納得した覚えがある.しかし,キャロルの見解によればこの結論は早計であることになる.またまたよりどころを失って漂うことになるのだろうか.



第10章「ビューティフル・マインドホモ・サピエンスのつくり方」では,顎筋と発話に関わる遺伝子の研究を通じて,類人猿クレードの中でヒトの進化に与る遺伝子スイッチが何であったかを論じる.最後の第11章「すばらしい生物種は際限がなく」は,本書全体を総括し,エボデボがもたらした進化学の新たな知見を再確認した上で,それが「第三の革命」といえる理由をあらためて述べる.



本書の大きな特徴は,エボデボの詳細にわたる論議を簡潔に体系化し,ミクロな遺伝子とマクロな“かたち”とのつながりを読者につねに意識させながら,エボデボのもたらした“革命”の内容をストレートに伝えている点にある.第1部が総論であるとすれば,続く第2部は各論であり,胚の地図・体制モジュール・遺伝子ツールキット・そのスイッチという「エボデボ四つの神器」を武器にして,過去から現在にいたる地球上の生物多様性に対してエボデボがどこまで深く切り込めるのかを見ることになる.



要点は次の三点にまとめられるだろう:1) 遠縁な複数の生物群には(これまでの予想を越えて)古い遺伝子セット(ツールキット)が共有されてきたこと;2) それらのツールキットの発現を統御する“スイッチ”の多様化の結果として形態のめくるめく多様性が生み出されること;3)生物の体制と形態の多様化を生み出した大進化は遺伝子レベルの変異すなわち小進化の外挿として説明できること —— エボデボが進化学全体にもたらしたこれらの知見がどのようにして見いだされ,さまざまな方面に波及していったのかを本書は生き生きと描いている.断続平衡説や種淘汰論をめぐる「大進化論争」が注目を集めたのは1980年代はじめのことだった.そのわずか四半世紀後にエボデボが“最終兵器”としてこの論争に決着をつけたことになるのだろうか.



1940年代の現代的総合から疎外された発生学が新たな「総合」に加わろうとするいま,発生学がたどってきた(進化学よりも長い)歴史を思い浮かべないわけにはいかない.本書ではあまり深く論じられていない発生学史とそれが現在の進化発生学の潮流とどのように関わってくるのかについては,少し前のステゥーヴン・ジェイ・グールド(仁木帝都・渡辺政隆訳)『個体発生と系統発生:進化の観念史と発生学の最前線』(1987年12月10日刊行, 工作舎ISBN:4875021402)の第1部,最近であれば,ブライアン・K・ホール(倉谷滋訳)『進化発生学:ボディプランと動物の起源』(2001年5月20日刊行, 工作舎ISBN:4875023510書評・目次)や倉谷滋『動物進化形態学』(2004年1月8日刊行, 東京大学出版会ISBN:4130601830書評・目次)などが参考になるだろう.いずれも,圧倒されるほど部厚い本だが,発生学の絡み合った太い系譜をたどっていけばこれくらいの分量になるには当然のことかもしれない.



すでに巨大な研究者コミュニティとアウトプットを築き上げているエボデボだが,関心をもつ一般読者のために,本書の末尾には詳細な文献案内と索引が付けられている.肝心の訳文はどうかって? 訳者名が安全マークそのものです.エンジョイ!



原書:Sean B. Carroll『Endless Forms Most Beautiful : The New Science of Evo Devo and the Making of the Animal Kingdom』(2005年4月11日刊行, W. W. Norton, New York, ISBN:0393060160 [hbk] / ISBN:0393327795 [pbk])



三中信宏(17 July 2007)