『翳りゆく楽園:外来種 vs. 在来種の攻防をたどる』

アラン・バーディック[伊藤和子訳]

(2009年9月24日刊行,ランダムハウス講談社,446 pp.,本体価格2,400円,ISBN:9784270005323目次版元ページ

【書評】※Copyright 2009 by MINAKA Nobuhiro. All rights reserved



古代ギリシャプラトンよりもさらに一世紀さかのぼった時代に活躍した哲学者ヘラクレイトスは,「この世のものはすべてかぎりなく変化していく」という「万物流転」の思想を提唱したことで後世にその名を残した.ヘラクレイトスによれば,いま目の前に見える存在(パターン)は未来永劫にわたって不変ではなく,時空的にはてしなく変貌していく過程(プロセス)にあるという.



姿を変えないものなどひとつもないのだと諭すヘラクレイトスの「動的」な世界観は,本書の著者が論じようとしている地球上の生物多様性が現在置かれている切迫した状況を理解するための理念的な支柱となる.なぜなら,本書に記された事例のいずれもが,地域生態系とその生物多様性が,外部からたまたま入り込んだ移入生物たちの狼藉によって,まさにかぎりなく流転していくかのように,急速に変貌しながら破壊されていく危険性を示唆しているからである.一見過去から未来にわたって盤石のように見えるわれわれの周囲の自然がこれほどまでに脆弱だったのかと驚く読者は少なくないだろう.



前半の第I部「陸」では,太平洋の離島であるグアムに人為的に持ち込まれたミナミオオガシラヘビがこの島の生物相と人間社会に与えた壊滅的な被害や,観光客でにぎわうハワイ島の生物相が実は侵入動植物によって占拠されつつある現状などをレポートすることにより,それぞれの地域の陸上生物相がどのように壊されていったかが描かれる.続く第II部「海」では,大洋を越えて長距離航行する船舶に積まれたバラスト水の投棄により,他水域から運び込まれた動植物が海洋生態系と在来生物相を広範囲にわたって大規模に改変しつつあることを報告している.バラスト水のもたらす影響は評者も最近になって知ったが,本書ではこの問題が特定の地域だけに関わることではなく,地球規模での視点のもとに詳細に論じられていて,たいへん参考になる.



著者は,現代の人間社会とその文明が,地球全体の生物多様性に対して,進化的に見てごく短期間にどれほど甚大な影響を及ぼしたかを,自らの足を世界各地に運び,実地探査と関係者へのインタビューにより現状を語らせようとしている.詳細な記載を読めば読むほど,客観的な事実の蓄積がもつ重みを実感できるにちがいない.



著者は移入生物によって地球規模で生物相がかき混ぜられる「均一化」の危機を何よりも問題視している.生態学者R・H・ホイッタカーが提唱する「α多様性(ある環境における生物多様性)」と「β多様性(異なる環境間での生物多様性の差異)」というふたつの生物多様性の尺度を踏まえて,著者は移入動植物はある地域環境のα多様性を増やすことはあっても,結果的には地球全体でのβ多様性を減少させることになる−−これが彼の危惧する「均一化」である.



ヘラクレイトスの言う「万物流転」とは無秩序なカオス的変化ではけっしてなく,背後に変化を支配する規則性(ロゴス)が厳然として存在する.本書で論じられているような生物の人為的な侵入による生物多様性の攪乱もまた,必ずしもでたらめに生じる現象ではない.したがって,東洋的な「諸行無常」思想の出る幕はない.地域生物相のいかなる制約のもとで侵入生物が定着したりしなかったりするのか.そして,生物多様度はどのような条件下で増減するのか.これらの問題は本書が呈示する新たな「侵入種学」,すなわち,定量的な予測モデルを立て観察データを蓄積することにより生物多様性が変化するプロセスの規則性を解明することができるだろう.本書では,移入動植物の生態と進化に取り組んできた多くの生物学者たちによるこの分野の研究の進展についてもページを割いて論じている.



進化的に見ればほんの瞬時にすぎない人間の短いライフスパンという物差しによって,生物多様性の長期的な変化や変動のプロセスについて憶測するのはとても危険である.しかし,それ以上に,ある地域の自然のどのように保全あるいは復元するのかは,目標としての「あるべき自然のパターン」をわれわれ人間が設定することによって初めて実行可能なプログラムとなり得る.保全生物学の実践上,より困難な問題は,生物多様性外来生物により変化するプロセスではなく,そもそもいかなるパターンが喪失されたとみなすのかという点だろう.



本書が伝えるもうひとつのメッセージは,誰もがナイーヴに想定するであろう「手つかずの自然」とは実は幻想に過ぎないのではないかということだ.地域環境や地域生物相の保全を志すときイメージとしての「原風景」は,いったんは喪失されたとしても努力して取り戻されるべきパターンとしての地位をもつだろう.けれども,そのような「原風景」とは,流転し続ける変化のなかに何らかの不変の「同一性」を求めようとして,ヒトがつくりだした心理的本質主義の産物ではないだろうか.



生物多様性が変化するプロセスは確かに科学的研究の対象となり得る.しかし,移入動植物により喪われたとされるパターン(「原風景」)が何かを決断し復元目標を据えることは科学の範囲を逸脱していると言わねばならない.なぜなら,それはヒトがもっている認知心理特性が絡んだ地域合意形成の問題といえるからだ.



保全生物学ははたして「科学」と言えるのだろうか? あるいは,保全生物学を「科学」とみなすようにわれわれのもつ「科学観」の方を変える必要があるのだろうか.



—— 【原書】Alan Burdick『Out of Eden: An Odyssey of Ecological Invasion』(2005年刊行,Farrar, Straus and Giroux, ISBN:0374219737著者サイト版元ページ



三中信宏(18 November 2009)



※上記書評原稿の短縮バージョンは日経サイエンス誌(2010年2月号)に掲載された.