『「蓋然性」の探求:古代の推論術から確率論の誕生まで』9章

ジェームズ・フランクリン[南條郁子訳]
(2018年5月15日刊行,みすず書房,東京, viii+609+88 pp., 本体価格6,300円, ISBN:9784622086871目次版元ページ

続く第9章「宗教 —— 神の法、自然の法」では,蓋然性に対するもうひとつの宿敵である宗教が取り上げられる.本章では中世以降のキリスト教神学をたどりながら,「神の存在証明」と蓋然性との関係がどのように議論されてきたのかを考察する.神が存在することの証明としてよく揚げられる「デザイン論証(intellectual design)」には二通りのバージョンがあると著者は言う.第一の「演繹的なデザイン論証」とは以下のものである:

「演繹タイプのデザイン論証で最も有名なのは,トマス・アクィナスの「第五の途」である.これは,自然のなかに目的性や方向性を認めることは必然的に命令者の存在を含意する,というものだ.道路標識には意味がある,ということは,誰かが,それがそういう意味をもつように書いたのだ.と言うのに似ている.この論証は物事の本性への哲学的直観として提供され,私たちの選択肢はそれをとるかとらないかのどちらかしかない」(p. 366)

第二の「非演繹的なデザイン論証」は上の演繹的デザイン論証とは大きく異なっている:

「デザイン論証が非演繹タイプのときは,つねに代替仮説 —— 世界の秩序は〔神の意図【デザイン】ではなく〕自然的原因から物質の自己組織化のようなものを通して生まれるという説 —— の蓋然性を考える必要がある」(p. 367)

本章後半はブレーズ・パスカルによる「神は存在するか否か」という賭けの意思決定論を詳述する.パスカルペイオフ計算(p. 408, 表9.1)に基づいて,神に「祈り」を捧げるという意思決定の方が妥当であると結論した.このパスカルの賭けに関して,フランクリンは合理的意思決定は蓋然性とは別物であると指摘する:

「[パスカルによる]この論証で注目に値するのは,パスカルが最晩年になっても,また,これほど意見への信念にかかわる(そして長期頻度とは無関係の)文脈においても,チャンス,つまり偶然のみを問題にし,蓋然性は問題にしていないことである」(p. 409)



「蓋然性がどんなに高くても,確実ではない以上,いかにも確実であるかのようにふるまうのはやめておこうと思わせるに足るほどのきけんは存在するだろう.同様に,パスカルの賭けにおいても,神が存在する蓋然性がどれほど低くても,こんなに報われるならば神の存在を前提にした行動は合理的だと思わせるに足るほどの報酬があるのだ」(p. 410)

けっきょく,近代的な確率(蓋然性)の考え方が生まれ出る背景には,哲学的あるいは宗教的なアンチ蓋然的な思考がまだ強固に残っていたということだろう.