『書物の破壊の世界史:シュメールの粘土板からデジタル時代まで』読売新聞書評

フェルナンド・バエス[八重樫克彦・八重樫由貴子訳]
(2019年3月22日刊行,紀伊國屋書店,東京, 739 pp., 本体価格3,500円, ISBN:9784314011662目次版元ページ

読売新聞大評が一般公開された:「古今東西 書物受難史——書物の破壊の世界史…フェルナンド・バエス著」(2019年6月30日)



古今東西 書物受難史

 私のいる研究室には古書がうずたかく積み上がっていて、ときどき銀色に輝く紙魚がちょろちょろ這い出てくる。本の紙や糊をかじってしまう憎らしい天敵だ。しかし、本書を読んだあとでは、紙魚の1匹や2匹くらいは寛大に見逃したくなる。

 書物の受難はいつの時代にも世界中どこでも絶えることはなかった。伝説的な古代エジプトアレクサンドリア図書館は最盛期の紀元前3~2世紀には70万巻ものパピルス文書が所蔵されていたという。しかし、その後に続く政治的混乱と戦火によりこれらの書物はことごとく灰燼に帰した。第2次世界大戦中のナチスドイツによる大規模な焚書事件(「ビブリオコースト」)、中国の文化大革命時の書物の検閲と弾圧、ユーゴスラビア紛争における図書館の大規模な被災と何百万冊もの破壊、今世紀に入ってもイラクにおける激しい戦闘の中で粘土板に刻まれた数多くの貴重な歴史的文書が失われた。

 私たちの愛読書がもし傷つけられたり燃やされたりすれば“痛み”を感じるだろう。しかし、長い歴史の中で暴力的に失われてしまった物理的存在としての書物の総数はその痛覚を麻痺させてしまう。本書に詰め込まれた書物受難史の事例は繰り返し読者に問いかける。なぜわれわれ人間はこれほどまで執拗に本を燃やしたり捨てたりできたのだろうか。かつて作家ハインリッヒ・ハイネは「本を燃やす人間は、やがて人間も燃やすようになる」と書いた。多くの日本人読者はすぐさま「焚書坑儒」という中国の史実を思い出すはずだ。書物の破壊の歴史は人間社会の憎悪の歴史と表裏一体だった。

 ノーベル文学賞詩人ヨシフ・ブロツキーは母国ロシアで執筆活動を弾圧されたが、それでも「本を燃やすよりもひどいことがあるとすれば、それは読まないことだ」と述べた。焚書や破壊や廃棄という災厄を免れて生き残った書物を手にするわれわれは本を読めることの幸運を実感する。八重樫克彦・八重樫由貴子訳。

三中信宏[進化生物学者]読売新聞書評(2019年6月30日掲載|2019年7月8日公開)