『枢密院議長の日記』

佐野眞一

(2007年10月20日刊行,講談社[現代新書1911],ISBN:9784062879118目次版元ページ



戦前戦中を通じ長年にわたって,「蝿頭の文字をもって記され」(p. 12)た日記を残した枢密院議長・倉富勇三郎の伝記.とにかく,書いて書いて書きまくったそうだ.うらやましい.倉富は,日によっては400字詰にして50枚もの分量を書いたという.飽くことなき執念というか,ほとんどビョーキというか.※他人事ではないのだが…….

序章「誰も読み通せなかった日記」,第1章「宮中某重大事件」,第2章「懊悩また懊悩」と第3章「朝鮮王族の事件簿」を読む.第4章「柳原白蓮騒動」(pp. 168-246)は皇室ゴシップのオンパレード.これはすごいかもしれない.続いて,第5章「日記中毒者の生活と意見」,第6章「有馬伯爵家の困った人びと」,そして第7章「ロンドン海軍条約」の3章をイッキ読み.150ページほど.第5章にこんなくだりがある:




倉富日記にはその元となる覚書,もしくは下書きらしきものがあったことがわかる.これだけ膨大な量の日記を残しながらさらにそれを準備するためのメモまであったとは.(p. 251)

倉富はただ日記を書きっぱなしにしていたわけではない.暇さえあれば読み返していたことは,いたるところに後で追記した箇所があり,そこで誤記や記憶違いを訂正していることでも明らかである.(p. 252)

求道者のように日記を書き続けた倉富は,一体,何のためにこれを書いたのか.残る疑問は,結局そこにたどりつく.倉富の性格からして,何らかの見返りを期待したためだったとは到底思えない. (p. 253)



ウェブ日記を書いている多くのみなさんならば同感する点が少なくないのではないだろうか.少なくとも,上に挙げた3点(「下書き」,「読み返し」,「自分のため」)はぼくの日録にはそのまま当てはまっている.「倉富がなぜこれほど退屈で長大な日記を書いたのか」(p. 18)という著者が最初に抱いた疑問への答えは,自分を記録しようとする意志の強さにあったのだろう.

終章「倉富,故郷に帰る」を読了.400ページを越す厚い新書もこれでおしまいだ.著者は7年もの間,この「倉富日記」と付きあってきたという.途中,投げ出す寸前だったことも一度や二度ではなかったそうだ.書くのも執念なら,読むのも執念.お疲れさんでした.