「研究者とライターとの関係」

つい先日まで,プロの翻訳者の手になる下訳原稿をかなりリライトに没頭していた.ワタクシには自分なりの「文章のリズム」があるので,それに合わない箇所はもれなく書き換えてしまう癖がある.今回はちゃんとした下訳だったので,作業工程でいえば「五合目からの登攀」だったのはとてもラクだった.

しかし,かつては最悪の事例に遭遇したこともある,持ち込まれた初校ゲラがぜんぜん話にならなかった(=日本語の文章になっていない)ので,積み上がっていた “山” をいったん整地し直し(=大きなペケを付けて余白に訳文を手書きする),地べたから登攀再開という難行苦行だった(=一冊まるまるの訳し直し).その “千日回峰行” の経験があるので,学生や院生の下訳?は何一つ信用していない.彼らはきっと日本語も不自由だったんだろう.

科学書・専門書の翻訳は,文章として書かれていることを “訳す” だけではなく,字間や行間に潜んでいるつかみどころのない “もの” を訳出するのが大仕事なので,プロ翻訳者と研究者がペアになって仕事をするのが現時点ではもっとも効率的ではないかとワタクシは考えている.日本語運用能力は別にして,それでなくても時間がない研究者に本の執筆や翻訳を委ねるというのはかなりハイリスクなので,プロのサイエンスライター・翻訳者との共同作業を進めるというのは現実路線し,読者にとっても益になるだろう.