『鐘の本:ヨーロッパの音と祈りの民俗誌』読売新聞書評と備忘メモ

パウル・ザルトーリ[吉田孝夫訳]
(2019年5月1日刊行,八坂書房,東京, 454+x pp., 本体価格3,200円, ISBN:978-4-89694-261-3目次版元ページ

読売新聞小評が公開された:三中信宏鐘の本 ヨーロッパの音と祈りの民俗誌…パウル・ザルトーリ著」(2019年8月18日掲載|2019年8月26日公開)



 日本では、近在の寺から朝夕に鳴る時の鐘や大晦日の除夜の鐘を耳にする。ドイツの古い街を歩けば、教会の鐘楼から鐘の音が四方に響きわたる。二つの世界大戦にはさまれた不穏な時代のヨーロッパでは、数多くの歴史的な鐘が国策により鋳潰され武器にされる危機に瀕していた。著者は当時のドイツ国内をくまなくめぐり、鐘をめぐる逸話や民話を懸命に蒐集した。

 ドイツの鐘は饒舌だ。冠婚葬祭の祝辞や弔辞はもちろん、うらみつらみやとりとめない言葉遊び、はては厨房での料理の出来具合までしゃべるつぶやく。彼の地の鐘は自分で鳴ったり歩いたり翼を付けて空を飛んだりもするらしい。日本で言えば室町時代につくられたとされる『百鬼夜行絵巻』に登場する「鐘の付喪神」を連想させる。

 本書はドイツに深く根ざした「鐘」の歴史と文化と民俗の基本文献だ。原書は1932年出版。もう90年も前の本だが、今回の翻訳に際して原書にはまったくない鐘の写真や古い絵を数多く追加しただけではなく詳細な巻末解説記事が付されていてとてもありがたい。吉田孝夫訳。

三中信宏[進化生物学者]読売新聞書評(2019年8月18日掲載|2019年8月26日公開)



原書は1932年に出版されている:Paul Satori『Das Buch von Deutschen Glocken. Im Auftrage des Verbandes deutscher Vereine für Volkskunde』(1932年刊行, Walter de Gruyter & Co., Berlin und Leipzig, XII + 258 pp.).もう90年も前の本だが,ドイツにおける「鐘(Glocken)」がたどってきた歴史と文化と民俗を語る上では欠かせない基本文献とのこと.1932年出版の原書はポーランドヴロツワフ大学デジタルライブラリーから DjVu 形式のファイルとして全文公開されている:Digital Library of University of Wroclaw [DjVu: open access].なお,ワタクシはこの DjVu という画像圧縮方式についてぜんぜん知らなかったが,jpeg や pdf よりもはるかに圧縮率が高いとのこと.DjVuLibre というフリーの DjVu ビューワーが公開されている.

中世の西洋の鐘については,ずいぶん前に:阿部謹也甦える中世ヨーロッパ』(1987年7月30日刊行,日本エディタースクール出版部,東京,vi+331 pp.,ISBN:4-88888-124-3目次書評)を読んだことがある.一方,日本における鐘については:笹本正治中世の音・近世の音:鐘の音の結ぶ世界』(2008年4月10日刊行,講談社[学術文庫1868],343 pp.,本体価格1,100円,ISBN:978-4-06-159868-3目次書評版元ページ)がとても参考になった.

いまの打楽器奏者であれば,「グロッケンシュピール(Glockenspiel)」と聞けば,管弦楽吹奏楽で用いられる打楽器の「鉄琴」をすぐ思い浮かべる.しかし,グロッケンシュピールとはもともと音程の異なる複数の鐘からなる「組み鐘」— 「カリヨン(Carillon)」とも呼ばれる — を指していた.この組み鐘で旋律を演奏するのに鍵盤(棒)が用いられた.のちに,鐘の代わりに金属板を配置した「鍵盤付きグロッケンシュピール(jeu de timbre)」が発明され,さらに鍵盤が廃されてマレット(撥)で叩くようになったものが現代の「グロッケンシュピール(鉄琴)」だ.この楽器間の祖先子孫関係はとても興味深い.今でもドイツの古い街では大きな組み鐘が教会などに設置されていることがある.

今回の翻訳に際しては,原書にはまったくない鐘の写真や古い絵などがたくさん追加され,さらに巻末には訳者による詳細な解説記事「西欧における鐘の文化略史──あとがきに代えて」(pp. 417-454)が付されている.すばらしい.