『採集民俗論』読売新聞書評

野本寛一
(2020年11月20日刊行,昭和堂,京都, xiv+707+xiv pp., 本体価格7,500円, ISBN:978-4-8122-1823-5目次版元ページ

読売新聞ヴィジュアル評が公開された:三中信宏野本寛一著「採集民俗論」」(2020年12月20日掲載|2020年12月28日公開)※これがワタクシの読売書評の最後です.



 農耕牧畜以前の人間社会は自然の恵みに生存の糧を頼る狩猟採集社会だったと言われている。昨年出た『生きもの民俗誌』とこの新刊『採集民俗論』は姉妹本である。前著は日本の動物民俗伝承を広範に渉猟した大著だったが、この新刊も長年にわたる植物民俗研究を集大成した大部の本だ。

 山野に自生する植物の果実や鱗茎、塊根には有害成分が含まれていることがある。冒頭章の「トチ(栃)」の実=写真、本書より=にはサポニンなど食阻害物質があるため、採集後に時間と手間をかけてアク抜きする精緻な技術が各地方で独立に編み出された。

 地域社会に伝わるこれらの“食の知恵”の中には、植物群落の遷移と保全をも配慮した不文律も含まれていた。農耕文化の広まりと現代社会の趨勢の中で消えゆこうとする狩猟採集文化の古層に迫る貴重な情報が本書には詰め込まれている。(昭和堂、7500円)

三中信宏[進化生物学者]読売新聞書評(2020年12月20日掲載|2020年12月28日公開)



前著:野本寛一『生きもの民俗誌』『生きもの民俗誌』(2019年7月30日刊行,昭和堂,京都, xviii+666+xxiii pp., 本体価格6,500円, ISBN:978-4-8122-1823-5目次版元ページ)は動物伝承が中心だったが,姉妹本であるこの新刊は植物伝承を集成した700ページ超の大著だ.最初の「トチ」だけで100ページ超もあって,延々と栃の実のアク抜きの手順が続く.おそるべき手間だ.今度,どこかで栃餅を食べるときはきちんと正座していただかないと.トチに含まれるアク(サポニン,アロイン)とのはてしない闘いは地方ごとに食文化として定着した.しかし,アクを抜きすぎても風味がなくなる(=「トチが馬鹿になった」p. 77)という微妙きわまりないさじ加減.現在方々で土産物として売られている栃餅はこの “トチ食文化” の最後の “広域遺存種” とのこと.

続いて「ナラ」から「カシ」へ.コナラ・ミズナラクヌギ・アラカシ・ウバメガシなどの “どんぐり類” はどのように地元の食文化に組み込まれていたか.ここでもやはりアク抜き(タンニン)の手間がただごとではない.さらにシイ・マテバシイ,ブナ,クリ,クルミ.これら食阻害成分を含まない堅果の食利用と民俗について.堅果の次は,液果(ヤマブドウ,グミ,タブ)とソテツ.第一次世界戦後の琉球における「蘇鉄地獄」記事は虚偽であると(p. 273).有毒果実の解毒法は伝統的に確立されていたから.第 I 章「木の実」は以上でおしまい.まだまだ続く長い道のり.

第 II 章「根塊・鱗茎」へ.ヤマイモ・クズ・ワラビまではもちろん知っていたが,トコロとかキツネノカミソリになると異世界だ.有毒アルカロイドを含むキツネノカミソリの解毒アク抜きの手間が手間がぁ.キカラスウリ,ユリ,カタクリ,スミラ,ウバユリ,ノビル,ホドイモ,カシュウイモ,テンナンショウ.まったく未知の食材がわらわらと登場する.以上で,第 II 部「根塊・鱗茎」読了.

第 III 章「山菜・野草」.ゼンマイ・シドキ・フキ・ヨモギ・オオギバボウシ・イタドリ・ミズ・フジアザミ・クサギなど.食資源としての利用は群落遷移を考慮してきたとの指摘.近年は鹿・猪との競合激化.第 IV 章「茸」.茸民俗あれこれ.アカマツ林の松茸は今も高値で取引きされているが,海浜クロマツ林の砂地に生える松露はもう現代の食文化から消え去ってしまった.そして椎茸栽培に迫りくる猿害の深刻さ.

第 V 章「海岸と採集」.海辺での採集物あれこれ(イワノリ・ヒジキ・マギ[巻き貝]・テングサなど).山と同じく海でも伝統的に乱獲防止と資源保全の制度が用意されてきたという指摘.第 VI 章「内陸小動物」.サワガニ食文化は知っていたが,ヒキガエルまで食べていたというのはかなり驚き.食用となるカエルはもちろんあるけど.どちらも「越冬民俗」と深く関わっているらしい.最終章「旅の終わりに」読了.これにて全700ページ登攀完了した.